カメラとの付き合い
1 人生と写真
カメラは、人生の節々に我々を見つめ、その一コマを残す。母の手の中に握られた赤ちゃんの柔らかな小さな手、安らかな眠りについている子の額にそっと母の手が触れる瞬間や頬に口づけをする、そんな一コマを見ると、写真の中に暖かな母子の心が写し撮れらているのを見る。着物姿や羽織袴を来て、手には千歳飴、きまじめな顔で七五三の祝いの写真もほのぼのとするし、小学校や中学校、さらには、高校・大学の入学するとき桜の木の下で笑顔で写っている顔もいい。旅行のときは、山でも海でも自然の中で顔が生き生きしている。祭りや正月、四季折々の中で、カメラのシャッターが降りる。
何で、写真が良いのだろうか。本を読んでいても、文字ばかりだと息切れがする。ページをめくっていき、写真がはさまれていたり、挿し絵が入っていたりすると、ほっとする。写真は文字以上に、対象に迫り、説明叙述する。これは、本物の風景や現場だし、他の人や自分の本当の人生の一コマだから真実性が迫ってくるからだろう。
もっとも、写真には写す人の作為が入るから、信用できないとこともある。まあ、そういうこともあるが、写真技術を知ることで予測できるし、ふつう我々が利用する限りでは、余り考える必要はないことだ。
人生最後は、葬儀となる。ずいぶん正装の姿となっている。普段、こんな写真を用意している人はいないので、写真屋さんは、苦労する。古いのや新しい集合写真を頂いて小さく写っている写真をマクロレンズという拡大に適したレンズやレンズをリバースして大きな写真を作り、正装写真と合成する。これを一晩で作らなければならない。最近は、さわやかな笑顔の写真となってきている。こんな写真が自然で良いし、その方が故人に会ったような気になる。
カメラは、人生を飾るが、人生を作ることもある。見合い写真は、その最たるものだろうが、そうでなくても旅行や遊びの際の写真がきっかけで人生の伴侶を見つけることもある。プロ写真家は、人生そのものとなる。医師は、レントゲン写真や内覗鏡写真、MRIで身体の内部を取り、人の命を助ける。弁護士をやっていると、証拠として活躍願う。現場の写真は、現場を知らない我々や裁判官に状況を知らせて、臨場感を与える。写真で勝訴になることもある。登記手続きが争いになったりすると、法務局へ行って申請書類の写真を撮る。
カメラの技術は、変化し、高度化してきた。単なる暗箱からコンピューターでピントや露出を自動計測する写真機となり、今は、デジタルカメラとなってきた。デジタルカメラは、以前、4つ切りにのばすと引き延ばしに耐えられず、色が飛んでしまっていたが、今は、びっくりするほど鮮明になってきた。そして、現像と引き延ばしも、暗い部屋の作業からパソコン上に移ってきた。
2 カメラと青春
私も、小学生の頃、小さなカメラを持って友達や家族を写していた。おもちゃのようなカメラだった。カメラの前の部分を開くとレンズが出てくる仕掛けのスプリング式カメラだったような、あるいは、固定レンズ式の小さなカメラだったような気がする。カメラの記憶は、おぼろげで、フォギー・フィルターがかかっている。
中学生になって、部活で卓球部に入ったが、写真部に移った。家の豆腐屋を手伝わなければならなかったので、卓球の練習が出来なかったからである。しかし、暗室に入って現像した記憶もない。昭和34年、高校生になって、やはり写真部に入った。この部活では、暗室で現像し、引き延ばしをやった。6ツ切りや4ツ切りでは、もの足りなかった。白樺湖の風景写真を半切まで引き延ばして、枠板から作りパネルにした。カメラは、タロンだった。当時、3〜4000円。タロンという機種を知る人は、カメラ販売を業とする人以外、ほとんどいないだろう。ニコンやキャノンという高級機種を買えない我々は、自分の経済力に対応する価格とカメラ性能のバランスを考えて、次第にマイナーなカメラに移っていく。ニコンの安い機種よりマイナーではあるが、高級機並の性能を持つカメラで妥協するのである。これがタロンだった。タロンを作っていた会社は、すでにない。タロンは、私の苦い青春をともに歩んできたカメラである。大学生となり、アルバム担当委員になった。カメラは、ミノルタSRー7、レンズは、ロッコール、50ミリ、F1・4で、その大きな瞳に魅力があった。このカメラでアルバム写真を撮った。私のカメラとのつきあいは、青春とともにある。
3 写真家とコレクター
昭和40年、21才になって司法試験を決めてからは、カメラは遠い存在となった。ミノルタSRー7は、置き忘れられ、レンズやファインダーにかびを生やした。昭和44年、司法書士になってからもカメラをいじることはなかった。
子供が産まれるとともに写真機は、再び活気を取り戻す。昭和58年弁護士となり、精神的に少しはゆとりがでてくる一方、子供達も、遊園地を走り回る時期となって、SRー7に28〜70ミリと70〜210ミリのシグマズームレンズを付けて子供達を追いかける父親になった。子供達の思い出アルバムは、趣味を徹してグラビア雑誌大の写真集となり、パネルにもなった。しかし、子供達が大きくなってくると、被写体は逃げ出し、風景だけが相手をしてくれた。
カメラの使用機材は、ミノルタSRー7にミノルタX700が加わったが、暫くしてキャノンイオス620とプロの勲章と言われるハッセルブラッド500CM、レンズは50,150,350ミリの3本となった。平成元年9月、この2台を持って中国、シルクロードにも行って1500枚の写真を写した。この際は、ただ、仕事を忘れてにわか写真家に変貌した。夢中になれた。しかし、平成6年頃から、自由時間は運動のためゴルフに変わり、写真を撮ることがめっきり少なくなった。
デジタルカメラの方は、いじりはするが、ホームページ用だけで、のめり込まないようにしている。デジタルカメラは、まだ発展途上の段階にあり、熟成に向けて激しい進化がある。1年しなくとも、デジタルカメラやその他の機材は、クラシックになってしまう。カメラは、再び、眠りに入った。
平成11年、今は亡き知人が使っていたツァイスイコン、コンテッサを形見として頂いた。コンテッサは、35ミリフィルムタイプ、1950年製、スプリング式、レンズは、オプトン40ミリ、F2・8である。古い形をしているが、ツァイスイコンのネームプレートに何か威厳を感じる。頂いても使う機会がなかったが、平成12年5月、九州に仕事で行く際に、試しに使うことにした。どのように使うのか、どのように写るのか、と心配したが、きれいに写って感激した。50年前のカメラで、立派に撮れる。故人の人柄とカメラ熱を偲ぶとともに、私自身もクラッシクカメラに興味を抱くことになった。いま、クラッシクカメラの本20冊ほどを購入し、読んでいる。ついでに、アメリカから1950年代までのカメラ20台ばかりを購入してしまった。
クラシックカメラの中心であるライカ、その周りのライカのコピー群、ライカを研究してライカを越えようと独自のカメラを作った日本のカメラ群。ライカは、未だに健在だが、それ以外のカメラメーカーは、日本のメーカーを含め多くが倒産、吸収合併、製造を中止したりして消えていった。今は、ニコン、キャノンなどの日本のカメラメーカーが主体になっているが、その変貌に驚く。カメラの歴史は、企業の競争や人生の縮図でもあった。
4 カメラから何を得るの
カメラとのつきあいは、自分にとって何んな意味あるのだろうか。しかし、その答えは返ってこない。カメラで子供達を写す場面が無くなってしまったし、風景写真を撮る機会も海外へ行く以外ほとんどなくなってしまった。コレクターになれるだけの力はない。しかし、写真との関わりずっと続くだろう。この間、考え続けようと思う。
とりあえず、自分が生まれた歳に作られたカメラを使おうと思って、これを探している。しかし、私が生まれた歳は、1944年であるので、この年代のカメラを探すことは難しい。昭和19年という年は、第2次世界大戦の末期となり、日本はもとより各国のカメラ会社は、カメラなどを作る余裕がない。カメラの製造年代を現した本を見ても1944年前後は、空白が多い。こうして探しているとき、1944年製のライカIII C K があった。しかし、値段が高すぎる。9900ドルである。私は、見間違いかと、0を数えてみたところ、間違いない。日本円で100万円である。さすがに、買えない。もうしばらく、安いものを探してみよう。
平成12年6月5日、高校生時代に使っていたタロンがアメリカにあった。タロンは友人に貸した際、紛失されてしまったのでいまはないが、懐かしのカメラである。タロンを売っていたのは、ニューヨークのパシフィック・リムというカメラ店である。US$15。日本円で1600円、今の金に換算すると、極めて安いが、昔、購入した価格の半分くらいで、値段が下がっていないような気がして、何かおかしい。「買いたい」と思ったが、シャッター・デッドとある。シャッターが動かないと、シャッターを押すときの感触と音が味わえない。高校時代が蘇ってこない。そこで、東京の「レモン社」という店やその他の店にタロンがあるかどうかを聞いてみた。しかし、残念ながら「ない」という。マイナーなカメラを探すのは、難しい。
しかし、オーストリアの「ライカショップ」にあった。US$130であるから、日本円で1万4000円、郵送料を含めると、2万円近くになろう。今、注文中である。順調にいけば、7月中旬には、高校生時代の懐かしいタロンの感触とシャッターの音に会えることになるだろう。そして、タロンを手にした私は、主体と被写体の40年の変動をどのように見て、どのように考え、シャッターを押すのだろうか。カメラとのふれ合いの原点のころに戻って、もう一度、カメラとの関わりを考えてみようと思う。
平成12年7月4日(火) 記