現代社会における奴隷化
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静岡県御殿場市において、友人関係における借金のもつれから傷害致死に至った事例がある。死亡させた青年は、借り主で無職の21才、貸した青年も21才である。私は、この事件の加害青年に200万余円の金を貸した生き残った他の青年の親から相談を受けた。
相談内容は、「息子が命を失わなかっただけ良かったが、サラ金との解決と貸金返還請求はどのようにしたらよいか」である。私の回答は、01 後者の貸金返還請求につき回収を諦めざるを得ない。02 前者をどのように解決するか。03 そして、更なる検討がある。なぜ、この加害青年と交際し、なぜ、この加害青年が被害青年に借り入れを申し入れたのか。なぜ、被害青年がサラ金から借りたのか。なぜ、加害青年に貸したのか。が最大の検討課題だということだった。
もとより01と02の課題も重要ではある。しかし、所詮、過去の問題解決である。03は、将来のことに関することであり、このことを検討し、問題点を乗り越えることにより、この先50年60年を生きるその被害青年やその家族が今後、かかることがないようになるきっかけとなる。長い人生には、保証問題、貸金問題、いろいろな課題が惹起する。今回の件を分析検討しておけば、将来の紛争を防止できる。
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私は、親のみならず被害青年にも事務所へ来て頂いた。この青年は、仕事を持ち、まじめに働いてその収入の範囲内で支出し生活をしていた。
(1) まず、「なぜ、無職の加害青年と交際したのか」を質問した。この青年は、無職と有職の差異の重要性を意識していなかった。学生の時は、仕事を持っていなかったので、自分が仕事を持つようになっても、他人が無職でいることを不思議と思っていない。人間生きていくために何が必要かを問うたところ、仕事だと答えた。問題は、これを強烈に他人に求める叫びを持っていなかったことだった。
(2)次に、「なぜ、この加害青年が被害青年に借り入れを申し入れたのか。考えたことがあるか」を質問した。回答は、「自分は、収入の範囲内で生活をしており、他人に借りることはないが、他人では金が必要になることがあるだろう。」というぐらいであった。収入の範囲で支出を考えることが基本であり、金を借りると言うことは、支出が収入を越えていることで、その人の危険信号である。無職は、最大の危険信号であることの意識がない。
(3)なぜ、「他人に貸したのか。」貸すと言うことは、自分にゆとりがあってできることであり、ゆとりがない以上、原則として貸してはならないものだ。
(4)なぜ、「サラ金から借りたのか。」借りる場合の原則は、金を借りる場所の選択である。まず、銀行。次に、近親関係であり、友人から借りることは避けるべきである。ましてや、サラ金から借りることは許されない。サラ金の金利を聞いても、銀行の金利を聞いても知らない。
私は、01 仕事を持ち、まじめに働いてその収入の範囲内で生活する事が人間の原点であること、その自分の人生を柱として考えること 02 その柱たる自分の人生に反する人生を歩む者を警戒することが大事であることを話した。
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私は、自分の3人の娘達に聞くこととなった。26才、大学4年生、大学1年生である。長女は、金利を概略知っていたが、次女以下は、金利を知らなかった。また、日本大学国際関係学部における講義の際、学生のみなさんに聞いてみたが、大学1年生の多くは、サラ高や銀行の金利とその差異を知らない。このように、その金利差を知らない青年達が多い。難しい数学、英語、国語、社会の学校における成績が良くても、社会における実践的な知識を知らない。教育の意味は、なんだろうか。
他方、金を貸す行為の意味は何だろうか。金利はなぜ、付加できるのだろうか。その上限はいくらなのだろうか。これらを考えていないところに問題がある。銀行の社会的責任は、低利で生産手段に対する資金や住宅資金を提供し、企業を育て、社会生活の基盤を形成するところにある。年利が2%〜3%であれば、自己の生産率からしても通常可能な利率となる。これに対して、サラ金の金利は、年率30%である。その他の高利には、年率40%を越えるところもある。
企業や個人の生産量は、1000万円の投下資本でいくらの経済的上昇が見込まれるのであろうか。衣食住に資する物、これの準ずる物が生きるための基本資源である。我々、弁護士にしても、医者、音楽家、画家にしても直接、生産手段に関わっていないが、この生産手段に貢献することで仕事の意味がある。金を貸したことだけで、魚や米、自動車やコンピューターが生まれるわけではない。企業や個人の生産率に貢献し、その生産率に貢献した分け前を貰うべきことになる。金利は、その意味で、企業や個人の生産量率に限定される。30%という金利は、どう見ても許容できない。こんな会話を娘達と交わしたが、数学、英語よりも大事なことである。
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サラ金業者の発展は、現代社会において形を変えた奴隷制度を形成しているように思えて仕方がない。
(1) 青年達のサラ金利用は、知らず知らずの内に高利の世界に組み込まれていく。10万円を2ヶ月借りても1日13円という説明やキャッチフレーズを聴くと、何でもないように思えてしまう。確かに、年30%であっても利息は5000円であるから、利息を12回で分割して支払うつもりであれば1ヶ月400円くらいの負担と計算できるので、軽い負担と考えてしまう。金利の利率よりも結果としての月々の負担で考えている。しかし、200万円を借りると1年間に返済しなければならない利息は金60万円。銀行金利との差額は金54万円である。相談に来た被害青年の給料は、1ヶ月18万円、3ヶ月は、せっせと働き、サラ金への返済に奉仕するのみである。
(2) 裁判所における事件の増大化は、破産事件、支払い命令、訴訟、調停事件、執行事件に顕著に現れている。この増大化は、サラ金など高利の会社による申立、サラ金との解決のためものが大半を占める。これは、裁判所をも隷属化することになる。調停委員、裁判所書記官、弁護士、裁判官、皆これらの事件の解決に追われる。私は、これらの事件の解決に、喜びを感じることはない。
(3) 離婚事件の相談を受けても、夫が、または、妻がサラ金からの借金に追われている。会社の倒産では、ほとんどの会社が高利から借り受ける。この貸付は、企業を支援し、個人の生活を豊かにするための融資というものではない。無計画な消費生活の増大と瀕死の状態の企業に親族や友人知人を巻き込んで悲劇の家庭の増大を支援するにすぎない。
(4) 刑事事件の発生の発端を見ると、サラ金に関わっている事例が多い。平成13年4月から8月かけて受けた国選事件は、10件。交通事故による業務上過失致死罪、覚せい剤使用、窃盗、執行猶予中の飲酒運転事案など多種多様であるが、サラ金から借りている事例がある。
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サラ金大手の収益が全企業の中で最高益を計上していることが報道されている。銀行預金は、限りなく零に近い数値であり、銀行金利も低下している。しかし、利息制限法の金利は、変動をしていないし、サラ金の金利も高額である。安く借りて高く貸し付けることが可能である。この構造が問題となる。
しかし、サラ金がなくなれば、かかる不合理はなくなるのであろうか。サラ金がなくなっても需要者がいる限り、需要者は、他の高利に借入先を求めるだけである。こうして、現代社会の奴隷化は、消費を求める消費者の一般的浪費的思考に起因していることになる。かっての奴隷、ローマ時代やアメリカの奴隷などは、支配者の力による弱者の奴隷化であり、使役するものと被使役者が奴隷であることを互いに意識していた。しかし、今の奴隷は、奴隷としての意識を持っていない。浪費のために高額な金利を喜々として支払い隷属化する。
課題は、利用者である子ども達への教育にあるだろう。知育偏重の教育にあるのではなかろうか。また、父親、母親達の家庭への復帰と父親、母親達や学校教育からの社会知識の教育が大切なのではなかろうか。他方、高利への厳しい目が必要である。金利が許される理由は何かを立法者、立案に携わる者が深く認識することを求められよう。
平成13年10月17日(火) 記