「頭脳を研ぐ」
1 (頭を研ぎたい)
ナイフを研ぐように自分の頭脳を研ぐことができないだろうか。カミソリが切れるような鋭い頭脳になれないだろうか。試験勉強が激しくなるにつれこのようなことを思うようになりました。
私が日大三島商経科夜間部へ通学していた当時、歴史学の教授に軽部先生というが方いらっしゃいました。講義のときの出欠の確認はカ−ドへ判を押し、黙って早退する学生がいると講義の終りにまた判を押すという特徴のある先生でしたが、この先生が「頭は使えば使う程良くなるものだ」と言われました。これを聞いたときは、そのようなことは他人事のように「そうかなあ」という感じで聞き流していたことを思いだします。2 (頭脳を研ぐことができる)
三島北高夜間部4年生のとき担任の先生から君は上の下か、中の上だと言われ、大学に入ってからも私は優秀な学生ではありませんでした。経済原論を一頁から読み始めても一頁の終りころになれば早くも疲れて嫌になってきた並み以下の学生でした。しかし、家業の豆腐屋を脱するには勉強しかないと思い、懸命に勉強をするようになってから、能力のレベルアップができないものかを必至に考えるようになりました。これは、「自分は駄目な男なのではないか、いやでも豆腐屋をやるしかないではないか」という自己の能力への懐疑に対する回答のためにも必要だったのです。
そこで、いろいろ考えていますと、同じ自分でありながら、試験が近付いて来ると緊張感が高まり、勉強の集中力、記憶力、持続力が普段のときより格段の高さで存在することに気が付きました。この試験直前の能力水準が普段に存在すれば、自分は優秀になれる筈です。低レベルの谷の部分をこの試験直前のハイレベルで埋めることができれば試験も軽く突破できる筈だと意識した訳です。そこで、実際に存在する「もう1つの自分に近付ずこう」と努力し始めたのです。3 (砥石を探す)
如何にしたらかかるハイレベルの自分になれるだろうか。試験直前の緊張感を作るにはどのようにしたらよいのだろうか。試験になるとなぜ緊張感が高まるのだろうか。頭脳を研ぎ磨く研石は自分にとって何だろうか。種々考えたのです。
試験は、「試験に合格しないと将来が危うくなる」といういわば「外から強迫」が接近するために自分に緊張感が増すのではないだろうか。そうだとすると「普段に自己による自己への強迫」をすれば良いではないか、と考えました。そこで、強迫の材料は何があるのだろうかを次に考えました。
私は、私に対して「お前は豆腐屋をやりたいのか、いやなら勉強をしろ」とか「お前より成績の悪かったやつが昼間の大学へ行っているぞ、お前は悔しくないのか」など誇大に悔しい材料を探して毎日自分に言い強迫し続けました。
このような状態は、他にもないのでしょうか。私たちは、馬鹿にされると非常に悔しくなります。「友人、知人、先生などに馬鹿にされる」と「なにくそ」と思います。そこで「馬鹿にしてくれるいやなやつ」は「俺をみがいてくれるありがたい奴」だ。「馬鹿にしてくれるうれしい奴」と敢えて会うようにすることが良いではないか、と考えるようになり、そのような人と会うことにしました。
また、その人の前に立つと自分が緊張してしまうような若干苦手な人がいるか、いるなら出来る限りその人に会いに行くようにする。そして、自分の緊張感をみがくのです。
失恋も勉強を奮い立たせる大きな材料です。父の倒産、父の失業、父母の死、こういうものすべてを勉強の集中力、持続力のバネになるのです。辛いこと、悲しいことは、砥石になるのです。4 (磨く方法)
砥石ばかりではなく、砥石を使って磨く方法を研究しました。自己強迫や辛いこと、悲しいことばかりを求めてばかりいないで、研ぐスタイルを考えねばなりません。これは内的思考力の向上です。
この場合、なんでも「なぜ」を考えましょう。私は、「なぜ」を良く考えました。
「なぜ、豆腐屋をやらなければならないのか」「なぜ、なぜを考える必要があるのか」「なぜ、自分は行動ができないのか」「なぜ、なぜ、なぜ−−−」なぜを考える対象があれば一切がっさいなぜを考え、毎日毎日なぜを考えるようにしました。これをノ−トに表わし、「なぜ」と「答え」を発展させたのです。なぜ、や、何かひらめいたものがあった場合には、すぐノートに取り、考えました。
このような思考は、
1).「なぜ」の回答として「仮説」を自己に作るきっかけとなり、「仮説」が生れてゆきます。
2).この「仮説」がその後の体験や勉強により「仮説」から確定した「自説」として確定してゆきます。
3).更に、これが基盤となって「なぜ」が更に、発展して行き、
4).個々の関係ないかのように見えた、孤立していた知識は、互いに握る手を持つようになります。
5).知識と知識は繋れて行くようになるのです。
6).法律の勉強でも「なぜ」を考えました。法律の勉強の場合「なぜ」を考えなければなりません。法律の勉強の方がもっと多くなぜを考えたと言えるでしょう。立法趣旨を考え、立法趣旨から条文を考えて行く。勉強の方法はどのようにしたらよいのか。効率的な勉強の方法はないのか。私の思考は、法律の勉強で磨かれたものです。5 (関連的思考)
更に、関連的な思考をしました。本を読む時や考える時、本の頁の順序や人が言っている順序に拘束されず、自分の自然に考えていい順序を探し、その順序で本を読み、考えるのです。例えば、生物の勉強の場合、植物から考え、種−発芽−成長−開花−結実−種の順序で考えるわけですが、これをすべての学問、すべての事がらで考え、思考するのです。こうすることで、思考が鋭く追求力と理解力、記憶力が高まっていきました。
6 私は、このようなことを考え、また、その他、いろいろ工夫しながら、自己の頭脳を研いだ訳です。磨いだ結果としての私のレベルは、大したことはありません。しかし、頭脳は研げるし、磨くことができるのです。
昭和63年1月11日 記