さまざまな人生 「聾唖窃盗犯」

 伊豆半島の付け根部分の東側に熱海駅がある。東京から新幹線こだまで50分のところだけに観光地としても便利である。この駅は伊東駅を経由して下田行きが発着しており、伊豆半島の中継地点でもあるから観光客の数は多い。いつものように駅は、観光客で混雑していた。この熱海駅に在来線を利用して到着した降客の中にある男が流れ降りた。男は、腹を空かしていた。朝は、食べておらず、このところろくに満腹になったことがない。

 列車が入り乗降客が一巡して列車が去るとプラットホームは、しばらく静かになる。熱海駅構内には、キヨスクの小さな店が数店ある。この店も乗降客がいなくなると一時的に暇になる。男は、この店から販売員がごみ袋を持って出て来たところを見た。「ごみを捨てにいくのだろう。帰ってくるのにしばらくかかるな」男は、そう考えて、キヨスクのドアを開け、中に入ってドアを閉め、3歩歩いたところ、早くも帰ってきた販売員に捕まってしまった。窃盗未遂の現行犯逮捕である。男は、前科17犯であり常習累犯窃盗の未遂罪として起訴された。国選弁護人を受任した私は、ただ、聾唖者でしゃべれない被告人であることの説明を受けたが、簡単に終わるものと思った。

 供述調書を読むと、男は、ドアを開けて入って2ー3秒して逮捕されてしまっている。「窃盗犯の実行の着手があるのだろうか。」まず、この疑問が生まれた。若干、専門的になるが、通常、窃盗罪の完成は、次のように流れていく。まず、物を盗もうと考える。次に、下見をしたり準備する。盗みの実行行為を開始する。物を自己の支配下に移し盗みを完成する。ここに至り窃盗罪は既遂となる。住居に侵入して盗みを働く場合で例えてみると、住居に侵入しただけでは住居侵入罪に該当するだけで窃盗の準備段階となる、窃盗の実行を開始したといえるには物をとろうとして物が存在する場所に行き物を物色することが必要である。私は、次の疑問を持った。窃盗の故意として、この男は、何を取ろうとしたのだろうか。物だろうか、金だろうか。また、その故意の実現のため物の在処(ありか)を物色したのだろうか。窃盗未遂罪で起訴されてはいるが、未遂といえるのだろうか、であった。

 本人は聾唖者である。面会にいくには、手話通訳者を同道していかなければ、話が通じない。聾唖者との面会は、外国人と同じ問題である事に気づく。我々が面会に言っても彼から聞くことも、こちらから聞きたいことも伝わらない。同じ日本人であっても意思の伝達は、外国人と同じなのである。私は、今まで聾唖者の人たちとの意思の伝達に意識したことがなかった。聾唖者の方々との意思の伝達は、「外国人と同じなのだ」。この認識は、いままで接触したことがないだけに心に突き刺さるものがあった。沼津の拘置所に面会に行った。「清水港の次郎長」で有名な清水市に居住されている手話通訳の方にお願いして面会となった。清水市から1時間以上かけて静岡県沼津市まで来て頂いた。裁判という専門的なことに携わることができるほど流暢な手話通訳者は、多くはない。

 拘置所での私の第1の質問は、彼は、金を取ろうとしたのか、物を取ろうとしたのだろうか、であった。私は、「君は、金を取ろうとしたのか、物を取ろうとしたのか、どちらか」と聞く。彼は、腹が減ったと手を腹に当てて、次に、ご飯を食べるしぐさをする。さて、困った。「君が腹を空かしているのは、わかった。何を欲しかったのか。お菓子か、お金か。」再度聞く。肝心な故意の質問になると、回答は要領を得ない。何度かの質問の後、金が目当てであることがわかった。こうしてやっと被告人の故意の内容がわかった。

 次に、実行の着手があるかを確認しなければならない。ドアを開けて部屋に入って何歩歩いたか。「3歩くらいだ」という。何をみたのかを聞く。「金庫が見えた」と答えた。手は、何処にあったか、と聞くと、手を挙げたという。何のために彼は、手をあげているのか。調書では、金庫の方へ手を差し出したと言っている。しかし、これは、警察と検察庁の尋問に対する彼の回答であり、私は、彼から細かく手を挙げた意味を確認をしなけれなならない。何しろ、歩いて3歩、入ってから2ー3秒のことである。金庫を探して手をさしのべるほどの時間だろうか。手を出すにしても単にとりあえず手をつくために手を差し出す場合がある。私は彼に対して細かい質問に入っていった。しかし、私の質問に対し、再び、彼は、「腹が減ったと手を腹に当ててご飯を食べるしぐさをする。」彼は、私の質問の狙いを理解できない。「実行の着手があったと言えるかどうかを知るために、この質問が重要なのだ。だから、聞きたいのだ。」ということが、伝えられないし、理解できない。通常人であれば、簡単の事項に属する質問がきわめて困難な質問となる。そして、彼は、微妙な表現を理解できないとともに表現も全くできないのである。結局、私は彼に実行の着手があったという心証を得ることができなかった。

 なぜ、このような表現しかできないのであろうか。彼は、字を読めるのではないか。字を書けるのではないか。そうであれば、私は、字を書いて質問を継続することができる。聾唖者の教育は、どうなっているのであろうか。私たちは、耳が聞こえないだけならば、口がある。目がある。手があると思いがちだ。しかし、これは大きな間違いであることに気づく。成人まで障害が無く教育を受けて成人になって耳が聞こえなくなったばあいには、まさに、目があり、手があり、口がある。しかし、幼少の頃に聴覚障害が無くなっている場合には、条件が全く異なる。耳からの情報が得られないので、言葉の発音を知ることができないし、耳学問が全く途絶えてしまうのである。人は学習をしていく過程で、耳、目からの情報を得て、字の意味や発音を獲得していくが、耳からの情報が無くなってしまい、目だけからの場合には、恐らく情報収集能力と学習能力は20パーセントくらいに低減してしまうと思えるのである。学校へ行くことができたのであろうか。かりに、いくことができたとしても教育を受けることができたのであろうか。子どもたちと遊ぶことができたのであろうか。彼は、現在、54歳とのことであるが、生まれて4ー5カ月の頃、転倒して後頭部を打ち耳が不自由になったということである。彼は、字は読めるが、通常人の読む能力にはおよそ及ばない識字能力であった。彼の成長に伴う苦労は、筆舌に尽くしがたいことであったろうと、私は思う。

 手話は、できるかというと、これができるようになるには、聾唖教育が充実してこないと浸透しない。聾唖者教育が始まったのは明治時代に京都においてであるとのことであるが、地方に行けばいくほどその教育の遅れは否めない。沼津に聾学校ができたのは、昭和24年からである。聾唖者の能力が、そのハンディから劣っているということは、民法第11条に聾者唖者は心神耗弱者として準禁治産者宣告がなされる例示として明文化されていた。昭和54年、この条文は、修正されて心神耗弱者としてはずされたが、聾唖者の教育の困難さを物語っている。

 彼は、手話を使うことができるが、この修得はある程度、大人になってきてからのようであり、十分な手話能力はない。それは、拘置所での面会に手話通訳者を同道しても、彼から窃盗の実行行為としての事実を細かく聞くことができなかったことから、ご理解いただけるだろう。聾唖者の立場は、きわめて弱い。以上の会話に現れているように自分の行為につき権利の主張と弁護の機会を十分に行うことができないのである。彼が今の時代に生まれていれば、手話教育を受け、学習ももっと十分に受けることができたであろうし、違った人生を歩むことができたであろう。ヘレンケラーのような人は、驚嘆に値することになる。

 彼と仕事の話となった。なぜ、何回も盗みをするのか。なぜ、仕事をしないのか。仕事はいろいろあるではないか。刑務所で仕事の習得ができるではないか、の質問となった。彼の答えは、こうだった。刑務所では洗濯やアイロンかけの作業を身につけた。そこで、出所後、そのような仕事をしたくて洗濯屋の前にたっても、洗濯屋に就職の話を聞いてもらえない。そこの主人は、彼が手を腹に当てている、を見ると、空腹であろうと、物を与えただけで帰ってもらう。あるいは、物乞いだろうと追い払う。じっくりと彼の話を聞いてくれないのである。洗濯屋にしてみれば、ゆっくり聞く時間がないのかもしれない。いずれにしても、彼が仕事をしたくても、仕事を探そうとしても就職の入り口で困る。手話通訳の人がついていってくれれば何とか頼めるというのである。しかし、この必要性があっても、現実の体勢は困難であろう。

 では、土方はどうだ。就職の困難さは、同様ではあるが、人足集めがくるからまだ仕事にあり就ける。浮浪者風の男たちの後に付いていけばよいわけだ。しかし、親方の言う仕事の内容が分からない。溝を掘れ、石を片づけろ、トラックへ土をあげろ、これらの指示が理解できない。仕事は、当然はかどらない。親方に聞きたいことがあっても、こちらの伝えたいことが伝わらない、そこで、怒鳴られる。また、同僚の人足から仕事ができない、など多くの不満がでて仕事にならない。これでは就職しても僅かな日数でやめざるを得なくなると言うことになる。そして、54歳となって、力仕事の土方をやることが困難になってきた年齢に入ってくると物理的にこれらの仕事は不可能になって来る。

 こうなると、金に困ることは必定というものである。ただ、彼は、身体障害者として2級に相当する。毎月、福祉年金が入っているはずである。この年金は、どのようにして使っているのか。これは、どうなっているのだろうか。

 私は、無罪の主張をした。窃盗の実行行為に着手をしていないと評価できれば、当然、無罪を主張すべきことになる。従って、法廷では、実行の着手の質問に検事、弁護人、裁判所の質問が集中することになる。裁判は、裁判所側通訳が一人、検事側通訳が一人、弁護人側通訳が一人と各1名づつが通訳する。手話は、疲れる仕事と伺った。長時間を通訳できないと言うのである。裁判は、こうして通常の被告人の場合に比べて3倍の時間を要することになる。

 被告人の答えは、お腹を抱え、腹が減っていた。なにか食べる物が欲しい。という動作が返事である。彼は、窃盗未遂の認定を受け懲役2年6月の判決を宣告されて服役した。有罪になった理由は、入って早くも金庫の在処を分かったこと、身体の位置が金庫に近かったこと、警察と検察庁における供述に金庫へ手を伸ばしたこととされていることである。彼の場合、盗みで入ろうとしたことは確かであり、窃盗の開始をするのは時間の問題ではある。既遂となるのも時間の問題である。キヨスクの販売員が後5分遅く帰ってきたら、いや、2分遅く帰ってきたら、彼は既遂となり、金を懐に入れたことであろう。しかし、被告人は、自己の行為を伝えたといえるであろうか、疑問は残る。その時からもう2年半が経過した。彼の状況は変わらない。がんばって欲しいと思うが、日本の何処かできっとまた盗みをやっているだろう。

 聾唖者の弁護は、捜査の段階が重要である。よく理解できないうちに自白の供述調書を作成されると言うこともある。国選弁護人は、捜査が終わり起訴された段階で選任される。今、弁護士会では、捜査の段階で弁護士を付けるべきではないかということで、常時弁護士を待機させる当番弁護士という制度を進めている。被疑者の要望があれば、法律扶助協会の負担で弁護士が付けられるのである。しかし、聾唖者の場合には、こういう制度の理解や依頼の意思を伝えにくい。そこで一歩進めて聾唖者の場合には、自動的に当番弁護士が、選任されなくてはいけない。しかし、課題は、どのようにして聾唖者が逮捕されたことを知るか。この問題は、なかなか難しいところだ。

 この事件を通して、聾唖者の教育問題や彼らが生きていく環境の厳しさを教えられた。熱海駅へ仕事で時に降り立つとこの事件が思い出されてくる。彼の人生を思うとふと悲しくなる。

沼津市立病院において 1995年  平成7年2月17日


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