
日 誌
20才の時から「青樹思考」と名付けた日記があります。当初、大学ノートへ書いていました。それが、カード方式に代わり、次に、弁護士になってから日誌としてワープロのフロッピーの題名となって、平成3年4月からは、Macのハードディスクの中のファイルの名前になっています。今度は、ホームページの一角を占めるようになりました。
日誌は、毎日書いているわけではありません。むしろ、仕事の書面づくりに追われて書いている暇がないところです。しかし、民事事件で訴状や準備書面を書き、また、刑事事件では被告人のための弁論要旨を書き、判決に至るわけですが、この訴状や準備書面、弁論要旨であらわせないこと、判決をもらっても解決できないことがあります。そのようなときには、弁護士や裁判制度の限界を感じ、ほかの要素を考える必要がでてきます。こうして日誌が生まれてきます。
「窃盗犯」は悲哀とともわれわれは聾唖者の方々をもっと理解する必要があるのではないだろうかを問いかけてきます。「授業料」は、私の失敗例ではありません。彼には、彼の事情があるのです。将来もこういう事例は私にでてくるでしょう。この日誌に出せるものは、限定されますが、立法論まで考える必要があるものがでてきます。「海外先物取引」「老人の再婚」です。我々は、事件を解決することも大きな意味があるけれども、立法論まで参加しなければならない場合があるのではないだろうか。どうすればよいのだろうか。どこへ参加すべきだろうか。こうして日誌は進化していきます。そして、その進化の現われが立法論への努力となっていきます。
他方で、楽しいときもあります。仕事の性格上愉快なことは多くありませんが、楽しいときも日誌は生まれてきます。
この日誌を書く際、余り具体的事実を書くことはできません。他方で、抽象的に書くと迫力に欠けるようになり、理解しようとする事実、理解してもらう必要のあること、悲哀、なぜ立法論に至るのかの思考経過が伝わりません。具体と抽象、分析と総合は、緊張関係であり、づっと続く課題でしょう。大切なことは、一歩でも理解が深まっているか、問題解決の方向に向かっているかどうかでしょう。
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