ウルムチの思い出

 北京から飛行機で2500キロを飛び、降り立った中国西域の街ウルムチは、砂漠の中にあった。地図を見ると中国にはタクラマカン砂漠やゴビ砂漠が横たわっており、我々からすると、ここだけが中国の砂漠地帯と思ってしまう。しかし、北京から飛ぶ飛行機の中から見る中国西域の光景は、延々と続く赤茶けた砂漠地帯である。タクラマカン砂漠は、「死者の白骨をもって道標となすのみ」と伝えられる砂漠で、とりわけ厳しい砂漠をいうようである。

 ここウルムチは、中国と言ってもソ連カザフスタンの近くであり、彫りも深く西洋形の顔立ちで異国情緒溢れる。人種的に見て漢民族が中国の人々だと思う我々のイメ−ジからすれば、これが中国の一部かと驚く。

 ウルムチの初日は宿泊だけとなったが、2日目は、時速80キロのスピ−ドで3時間走っても4時間走っても、砂漠が尽きない中をボゴダ山に抱かれた天池に向けてマイクロバスは走った。時々、オアシスが現われては去り、去っては現われてくる。緑が次第に濃くなるとオアシスが近づいたことを告げ、ロバ車に乗った農民が行き交い始め、緑が薄くなっていくととともにロバ車や人影が薄くなっていった。

 ボゴダ山の中腹に抱かれた天池は、箱根の芦の湖のような風景であった。水に親しんでいる我々には、珍しくない景色であったが、ウルムチの平野の年間雨量は16ミリであり、中国西域の旅行中、満面と水をたたえる湖に会うことはないだけに、それは正に字のごとく天の池と言うべき光景だった。帰り道、ウルムチ全市を望める紅山などを観光して、夜8時頃宿舎へ帰ったが、ホテルの屋根の装飾部分に夕日が落ち、輝いていた。

 中国は、全国統一時間で北京時間が標準時間であるため、ここの日没は、夜9時頃である。この日、9月30日は、国慶節前夜祭であった。地元の有力者、中国旅行社、ドイツ人、フランス人、日本人などの旅行者200人位でパ−テイ−が始まった。「ニイメン、ハオ−−」と中国語で挨拶が始まる。終りかと思うと、次は、「レデイス、アンド、ジェントルマン−−」と中国語の挨拶を英語で行ない、最後に日本語で挨拶する。目の前には、ごちそうが並ぶ。もう挨拶はいらないと思うが、2人目、3人目と挨拶は続く。3カ国語で3倍の長い挨拶が終ると、シェフが羊の丸焼きをワゴン車に乗せて来た。大勢の前で若干はにかみながら、香ばしい色に焼き上がった子羊を引き回す。彼は、漢民族ではなく、西洋形の顔付きをしており、ウイグル人であった。

 シシカバブ−のつまみ等で酒はすすむ。宴は、益々たけなわとなっていく。中国の人から歌が出た。声量のある良い声だった。何曲かの後、ドイツ人らしい人から歌が出た。こういうところでは、我々の方でも何か出そうと思う。同行メンバ−が「北国の春」などを歌い、国際色豊かな宴は盛り上がった。

 12時頃となり宴も終りとなったが、フランスの人達は、フォ−クダンスを踊っている。私は1人、ホテルで知りあった中国人の画家達一行と話していたところ、彼らからダンスパ−テ−があるから行かないかと誘われた。私は、北京から遠く離れた中国西域のウルムチでダンスパ−テ−があるのだろうか、上海や北京ではダンスパ−テイ−があるとは聞いているがどんなダンスパ−テイ−だろうかと興味津々となり、誘われるまま行く事にした。場所は、市街地かと思ったところ、宿泊した友誼賓館の別館3号館であった。宴会で言えば、100人は入る大きなホ−ルに楽団が入り、生演奏でダンスを踊っていた。異国の地で予想だにしなかった場は、華やいだものであった。皆、中国の人達で70〜80名位、外国人旅行者はいない。曲はルンバかジルバの曲である。皆、ルンバのようなステップで踊っている。私も中国女性にお願いしてジルバを踊った。国慶節前夜祭でしかもホテルの一隅という制限されたものではあろうが、中国の自由な雰囲気をこのような形で垣間見ることができた。

 ダンスが終った後、画家達一行の宿泊部屋で雑談をすることにした。酒を酌み交わしながら、家族構成のこと、中国人の収入のこと(月100元、日本円で4000円)など種々聞いたが、日本の経済力のことなど、向こうからも聞かれた。興味がつきないのはお互い様だ。話が終った時間は午前2時ころ、私のホテル2号館の入り口は既に締まっており、締め出されてしまった。画家達一行に手伝ってもらってホテルに入ったが、寝た時間は、午前3時となった。

 このような旅の始まりだった。翌日、我々三島市友好訪中団は、敦煌の壁画には及ばないが敦煌以上の雄大な自然の中に窟たれたベゼクリ−ク千仏洞、高昌古城、火炎山、交河古城などがあるトルファンへ向かい、楽しい旅は続く。
      1988 昭和63年2月18日 記

 なお、このときに知り合った画家たち一行のメンバー宋可群さんとは、未だに交流が続く。


シルクロード旅行、13年目に楽しいメールを頂きましたので、紹介させて頂きます。

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鷲尾惟子さんのHPのリンクから辿り着きました。


 シルクロードの旅行記のウルムチの想い出を読んでいて、ビックリしました。
1987.9.30の友誼賓館での国慶節の前夜祭パ−テイに、私も参加していたからです。当時、私は新疆大学でウイグル語の研修をしており、(遅ればせながら、私は神戸の大学で中央アジア史を教えています)大学のバスで往復しました。日本人のテーブルがいくつかありましたので、お話しする機会はなかったですね。とても懐かしかったです。
 それと、記事の中での、訂正をひとつ。宴会で最初に出たのはブタの丸焼きではなくて、羊の丸焼きです。
ウイグル人はイスラーム教徒ですからブタはタブーです。
 シルクロード紀行の続きをお待ちしております。
 
      堀   直   2000,12,7


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