望月庄一
日本で初めて世界選手権を戦った男


望月庄一氏

今回は、大ベテラン望月庄一氏を紹介しよう。1/8GPラジコンカーで時代と共に親しんだ氏は、まさに日本国内屈指のRCエキスパートドライバーだ。今でこそショップへ行けば、誰にでもRCが楽しめる時代になっているが、その昔、まともに走らせることすら難しい時代があった事を忘れてはならない。そんな時代を、望月氏はトップレベルで挑んできた生き字引なのです。氏の活躍が、今の日本のRCレベルを引き上げるきっかけになっている事がうかがえる一面を、ここに上げてみました。

RCのきっかけ
望月氏のRCを始めたきっかけは、1973年(昭和48年)子供のおもちゃを買ったことが始まりでした。その第1段は手に乗るぐらいの小さなトイラジコンだったのです。いつのまにか、子供のおもちゃが自分のおもちゃとなってしまった。その後、本格的なRCを始める為、飛行機を手にしたのがその次。19エンジンを搭載する「ポンコツ号」でした。プロポは5チャンネル、飛行には2チャンネルしか使わなかった入門機だった。この時、後にまで引きずる事となった飛行機のプロポスタイルがこの時に確立してしまうのであった。

RCカーの始まり
60クラスの飛行機を飛ばせるようになった後、今度はRCカーを始める。最初のRCカーは「京商デューンバギー」19エンジン搭載のオフロードカーだった。カーモデルを始めても、プロポのスティックは飛行機のスタイルのまま、右スティックがスロットル、左スティックがステアリング、通常のレイアウトと逆じゃないとコントロールできない体になっていた。当時は、スティック部がビスによるマウントだった為、付け替えるだけでレイアウト変更が簡単に出来たそうだ。

レース参戦へ

RCカーが徐々に人気を高め、各地でレースが行われるようになってきた。望月氏もレースに参加するようになる。まさにこの頃がRCカーの創世記に当たると思われる。この時、望月氏は運命的な出会いがあった。滝雄次氏との出会いである。(滝氏は後に京商ファントムシリーズの生みの親となる。現在はタキスピード)地元静岡県出身の二人は、共に各地のレースに参戦するようになる。

初勝利
当時オフロードでは、関模型のキャットバギーが最速で望月氏もこのモデルで大活躍したそうだ。時に、テレビ放送でRCレースが取り上げられた時に写ったこともあったと言う。初勝利は、昭和48年4月1日、忘れもしない石政主催のオフロードレースだった。RCを始めてすぐに初勝利をあげた望月氏、天性の素質が開花した瞬間だった。

RC レーシングカー

オフロードの次は、レーシングカーもやり始めた。最初のレーシングカーは国産の「クライマックス」でスタートした。しかし、アソシエイテッドからRC1が出てからは、滝氏と共に「アソシエイテッドRC1」に乗り換える。RC1は当時のRCカーでひじょうに高性能を誇るモデルだった。

TSR
静岡でレースをする仲間を集めてレーシングチームを結成したのもこの頃、その名も「TSR」チーム静岡レーシングを結成。メンバーは、望月庄一、滝雄次(ファントムの生みの親)、滝文人(現田宮模型滝博士)、大石、同本の5名。ライバルは、当時最強を誇るトドロキチーム、京商チーム等ワークスチームだった。望月氏は各地のレースを転戦する中、数々の勝利を揚げる。

JRCC チャンピオン

当時、JRCC,NRCのシリーズ戦があり「アソシエイテッドRC100」で参戦。1975年にはJRCCシリーズチャンピオンに輝く。レースは主に大磯で行われていた。1976年にはJRCCシリーズ2位を獲得。日本のRCレーサーのトップレベルの一角を担うようになる。特に、NARC戦では4連続優勝を揚げるという快挙も成し遂げた。

第1回 世界選手権 アメリカポモナ大会 日本代表選手

翌1977年、滝雄次氏ともっと大きなレースに参加してみたいと思っていた時に、横堀模型(現ヨコモ)から、海外レースに参加しないかと誘いがあった。この誘いがきっかけで、滝氏と望月氏は横堀模型の協力で海外レースに行く事を決意する。シャーシは「アソシエイテッドRC100」。到着したのはアメリカ・カリフォルニア州・ポモナ。現地に着いて気が付いたのが、何とそのRCレースはRCカーとして始めて行われる「第1回IFMAR世界選手権」だったのだ。エントリーした二人は、初の世界選手権に日本代表選手として来た事を、現地に着くまで知らなかたのでとてもびっくりしたそうだ。又、会場のサーキットにもびっくりしたと言う。日本では、RCサーキットと言えばオーバルコースや、オメガ型のサーキットが主流で行われていたのに対し、世界選手権のサーキットは現在のサーキットのようにテクニカルサーキットだったのです。もちろん二人はこの様なサーキットを走るのが初めてで、この時にカルチャーショックを覚えたそうだ。レースは「アソシエイテッドRC100」を駆るブッチ・クローウェル選手が優勝し初のRC世界チャンピオンとなった。(ブッチ氏は日本人と結婚し日本へ)望月氏、滝氏の成績はさっぱり。しかし、この世界選手権がきっかけとなり、日本国内のサーキットレイアウトがテクニカルと変わり、日本人選手のレベルが、世界に通用する原動力となった。滝文人氏は、このコースレイアウトの事を聞いて、静岡の田んぼにテクニカルサーキットを作ったと言う。望月氏はその後、トドロキモデルの武田訓政氏より「ロードエース」をもらいレースに参戦する。1977年JRCCシリーズ3位。1978年JRCCシリーズ5位。シャーシを京商「スーパーダッシュ」にチェンジ。京商のワークスサポートドライバーとなる。

第2回 世界選手権 スイスジュネーブ大会 日本代表選手

良きチームメイト、滝雄次氏の設計した京商「ファントム20」。望月氏はこのシャーシで再度世界選手権に挑む事になった。今度は、京商とサンワプロポのスポンサーがバックアップした。1979年 第2回 IFMAR世界選手権 スイスジュネーブ大会。日本人選手は総勢20名、国内レースで活躍するエキスパートドライバーが参加した。予選では石原直樹選手が「トドロキ・ロードエース」を駆り予選でトップクオリファイ、世界に通用するレベルとなった日本人選手は外国勢の脅威の的となった。決勝では「AAT」を駆る流石富士夫選手4位、石原直樹選手5位、その他選手も大活躍。望月氏も
27位を獲得した。世界チャンピオンはイギリスのフィル・ブース選手、シャーシはイギリスのPBだった。

第3回 世界選手権 アメリカインディアナポリス大会 日本代表選手

1979年JRCCシリーズ2位、1980年JRCCシリーズ2位。タイトルを取り逃がすが、以前トップクラスの実力を発揮した。そして1981年今度は、第3回IFMAR世界選手権アメリカインディアナポリス大会に京商ワークスチームとして参加する事になった。シャーシは「ファントム20EXP」リジットアクスルのフラットパンシャーシだったが、国内タイトルを取るなど高いポテンシャルを見せるシャーシで、捩れやピッチングを制御する為のオイルダンパーが、メカプレートからナックル部に装着されている。日本選手は総勢16名。京商チームは絶好調、近藤勝則選手がファントムを駆りトップクォリファイを獲得する。又、石原直樹選手もデルタCK800SJを駆り予選4位。望月氏は予選16位でセミファイナルまで進み序盤トップを走っていたが、イタリアSG社のオーナーであるサバティーニ選手に追突され、コースアウト。その後追い上げサバティーニ選手をパスするが、惜しくも決勝進出ならず総合11位に終わってしまった。コースアウトさえ無ければ、決勝進出間違い無しと言うところだったがレース後、サバティーニ選手が悪かったと言う気持ちで、握手を求めてきたと言う。望月氏は、このインディアナポリス大会でのレースが今でも最も印象に残るレースだったと語った。(12位は前回ワールドチャンピオンであるフィル・ブース選手、13位はアソシエイテッドワークスのエース、ビル・ジャイアナス選手、15位は全米チャンピオン、リック・デイビス選手)決勝は、アメリカデルタワークスのアート・カーボネル選手が優勝。近藤勝則選手が3位を獲得、石原直樹選手も4位に入賞した。

第5回 世界選手権 東京大会 日本代表選手
一躍、世界にファントムの名前が有名になり、更なる進化を遂げた。親友である滝雄次氏が開発した「ファントム20EXP4WD」、後に軽量仕様にマイナーチェンジし同車は1983年 第4回 世界選手権 フランス大会を戦う。しかし、望月氏はこの大会を欠場している。その後「ファントム20EXP3P」へと進化する。地元静岡では、TMCCシリーズ戦を浜松で主催。この辺りでは、望月氏にかなう者はいなかった。さて日本で世界選手権が開催される事が決まり、望月氏は京商ワークスチームとして出場する。建設中のディズニーランド駐車場で開催される1985年 第5回IFMAR世界選手権 東京大会、望月氏は予選29位に食い込むも残念ながら際立った成績を残す事が出来なかった。しかし、宿舎では天才ドライバー高麗淳一選手と同室で、勝負の駆け引きや、精神論を伝授したと言う。その介あってか高麗淳一選手は2位に入賞した。望月氏は高麗選手のガス欠によるエンストが無ければ優勝していたと、今でも自分のように悔しがっていた。このレースでは、石原直樹選手がPB・NOVAX4C4WDで8位、京商の岸清勝選手が10位に入賞している。京商チームは大活躍だった。この大会ではサーパント・クアトロ4WDを駆るロディー・ローム選手が世界チャンピオンに輝いている。
その後、「ファントム4IS」、「BMT891」、「BMT944」、「BMT95R」、「パルセック・シグマNC4」、「ムゲン・スティング」を駆りレース活動を続けている。つい最近までJRCCシリーズ戦、全日本選手権に参戦していたが、車が速くて目が追いつかないとの事で一線級レースから引退し、ローカルレースに専念。楽しむ為のRC活動をしている。4回の世界選手権を日本代表として戦った望月氏。もうすぐ還暦となるが、いまだに現役ドライバーである。 氏の活躍にみんなでエールを送ろうではありませんか。がんばれ望月選手!

望月庄一 もちづきしょういち
昭和16年10月20日生まれ 58歳
静岡県清水市出身
職業:大工

望月氏にメッセージがありましたら作者が代行して請け賜りますのでこちらまで

望月コレクション

昔のフタバプロポ 望月氏が昔使用していたフタバプロポ
昔はこの様に金属製のボディーをしている。装備機能はトリム調整とクリスタル交換のみ。もちろん望月仕様にスティックが変更されている。
昔のサンワプロポ 望月氏が昔使用していたサンワプロポ
この他に、世界選手権仕様のバッテリー部がセパレートになっている特別仕様の物があった。
京商アストロレーシング 京商チームが使用していたアストロレーシング
サンワ世界戦仕様をヒントに京商が発売したこのプロポ。バッテリーと高周波回路が別体となってベルトに引っ掛ける。操作部は重量物が無い為、ひじょうに軽い仕上がりになっている。
中西和彦選手が全日本選手権を、近藤勝則選手が世界選手権T.Qと優秀な実績を残した。この他にホイラー式もある。
トドロキ・ロードエース トドロキ・ロードエース
望月氏が一時期使用していた。エンジンは当時はやっていた「HGK」
京商ファントム4WD 京商ファントム4WD
昔からのチームメイトである滝雄次氏が手掛けた4輪駆動車。7075Sジュラルミンのシャーシを装備。リヤシャフトからスプロケットを施してチェーンを駆動、フロントに伝える。フロントに装備されたワンウエイベアリングがストレートのスピードをスポイルしない機構。(京商が特許を取得)
京商ファントム4IS 京商ファントム4IS
ファントム最後のモデル。リアアクスルの駆動はギアトレーンになっている。サスペンションはダブルウイッシュボーン形式。
昔のポルシェボディー 昔のポルシェボディー
京商岸選手のCRCカンナムボディー 京商 岸清勝氏のCRCカンナムボディー
ファントム4WDの最初の標準ボディー。岸氏がヨコタホビーに送った展示用の物。現在望月氏のコレクション。
京商ランドジャンプ 京商ランドジャンプ
望月氏はオフロードレースも積極的に参戦していた。
石政GX 石政GXシリーズ
その昔、1/12のGPカーもあった。
望月氏 オフロードレースのひとコマ

ホームページに戻りますインデックスに戻ります