作者の紹介

名前 宮崎直明
職業 会社員
趣味 ラジコン、オートバイ、モータースポーツ
愛車 TOYOTA CALDINA GT−FOUR(Nエディション) ・ HONDA−CBR400RR
住んでる所 静岡県 御殿場市
生まれ 1966年
使用機材 DELL:Dimension4500C
EPSON:PM−G700
NIKON:D70
NIKON:AF−S VR NIKKOR ED 70−200mm F2.8G(IF)
NIKON:AF−S NIKKOR ED 24−85mm F3.5-4.5G
NIKON:AF NIKKOR 28−80mm F3.3-5.6G
NIKON:AF NIKKOR 70-300mm F4-5.6G
NIKON:COOLWALKER PHOTO STORAGE VIEWER MSV−01
OLYMPUS:C−2500L
          

作者写真

ラジコン暦 (長いのでお暇な方のみ)

78年 作者はエンジョイ・ラジコンと言う病気になってしまった
ラジコンブームの到来、友達がタミヤのリジェ、セリカLB、ポルシェ等を買い始め、対抗しようとしてラジコンを始める。最初は、今は無きトドロキモデルの1/12電動プロジェクトER12を手始めにしたが、380モーターを搭載。540モーターにコンバートするにはピオンギアを加工しなければならず、当時、子供の私には無理だった。その為、競争にならない為に、友達のF1リジェを譲り受ける。
このあたりから、完全にラジコンにはまった作者であります。
この後ラジコンブームが徐々にさめ、一緒にバトルしていた友人も少なくなっていく。
 当時、御殿場市に日光無線の所有するラジコンサーキットが近くにあり、毎週末、自転車で通いました。路面は出来たてグリップも最高。しかし、一緒に練習していた友人はラジコンを辞めてしまった。いつのまにか周りにはエンジンカーを走らせるおじさんたちが沢山いた。
このサーキットでは1/8エンジンカー(当時の呼び方)も走っており、1/8オフロード元全日本チャンピォン児玉克幸氏も来ていた。 その後、店に見慣れぬEPキットがあり、無性に欲しくなったEPカーがあったのだ。AYK・RX2000、競技色の強いこのシャーシが、より早く走らせたいという気持ちを加速させたシャーシでもある。
次期RX3000で練習を重ね、シャーシのセッティングの楽しさが分かった。AYKのキットの完成度は他社製のキットを大きく上回っていたと感じていた。

突然、電動カーがいやになり始める。と言うのも、いつも一緒に走っているエンジンカーのスピードに憧れてしまったのだ。当時、ロードエースがほしかったが、世界選手権インディアナポリス大会で2位に入賞したSGインディー(イタリア)が国産キットより安く販売されており、迷わず購入、GPカーの最初がいきなり輸入車となる。ところが、一気にテクノロジーが進み、4駆、4独が主流となっていった。この頃、高校受験を尻目にラジコンをやっていた。どうしても、スピード不足に我慢できず、京商ファントム4WDを購入、ようやくエンジンカーの醍醐味に満足し始める。(ラジコンマガジンに岸選手や石原選手が活躍しているのが掲載されて羨ましく思っていたころ)日光無線のサーキットではファントム4WDが主流だった

当時の師匠、山口氏より沼津に、新しいサーキットが出来るとの情報ありそれが、ヨコタホビーのヨコタサーキットだった。ヨコタオープニング前週に、山口氏と練習したがレイアウトの難しさにびっくり。後で聞いたら京商の岸さんがレイアウトを設計したそうだ。当時、ヨコタのフェンスを壊しまくったのは私である。
それから、ヨコタに電車で通う事となった。家から駅まで自転車で、それから電車、徒歩でヨコタまで約2時間の道のりをがんばる事、三年間、練習に通った。当時高校生の作者にとっては、とっても長い道のりを苦痛に思っていなかったのである。それだけのめりこんでいたのだ。ある日、私用で出場できなかったヨコタのレース(何のレースだったかは覚えていない)に見学したところ石原選手のデルタイーグルがちょうど走っていた。とてもスムースな走りで驚いた。
 ヨコタGC戦に参加しながら遠征にも出かけた。
京商グランプリ鈴鹿大会、沼津地区予選に通り、いざ本戦に、海外からは当時デルタワークスのアート・カーボネルや香港のクリストファー・チェンなど国際的なドライバーが参加しており、ビビってしまった。成績はブービーぐらいだった。とにかく、カーボネルや石原選手など、すばらしいドライビングをまじかで見る。
ファントム4WD3Pを手がけた後、会社に就職、何時の間にか興味はオートバイへ。ヤマハTZR250を乗り回していた。
しばらくブランクがあった後、時代は4独4駆カーが主流になっていた。また、ラジコンが恋しくなった。
そこで、当時憧れのデルタP4をローンで購入ラジコン界に復帰。しかし、コストの高さに追いつかず、BMT891へチェンジ、徐々にガスパワーカーの魅力にはまってきた。

 この頃から、JRCCエキスパートドライバーの杉山恭司選手から、レースに参加しないかと、誘われ念願のSPLサーキット JRCC戦に参戦する事になった。
エキスパートには及ばないものの、そこそこのタイムで走れる事にいい気になり、レース熱が徐々に上がっていく。
杉山選手のお下がりのサーパント・スプリントにて何戦か出場、やっとノービスから昇格する。その時、店にあったプロワン・セブリングに目移りした為、予約してあったサーパント・エクセルをキャンセルして購入、カーボンプレートとジュラパーツに感動する。憧れのデルタの流れを継ぐベストな一台だ。
 あるARC戦、天気がすぐれないコンディションの中、同じヒートの杉山師匠の後を追いかけプッシュしたら、なんと抜いてしまった。シャーシの調子は良好。タイヤのグリップの限界で走っているのが良くわっかた。そのタイムがその日のT.Qとなり決勝へ、ところが雨が降ったため中止。自身SPLサーキットでの初優勝となった。2位は北出選手、3位は杉山師匠で大金星であった。
 その後、とんでもない事が、杉山師匠が世界選手権に一緒に行こうと言い出した。その年の全日本選手権で準決勝に残っていたので出場権はあったのだが、こんな僕にでも出場が出来るのだろうか..........とにかく、大船に乗った気持ちでエントリーしてしまった。
そして、スウェーデンへ出発したのであった。          作者が疲れてきたのでここまで    映像はこちら
 ボタン                 作者へのEメールはこちら