012  浄土宗 千本山  乗運寺(せんぼんざん じょううんじ)

  沼津市字出口町335
    TEL.(055)962−0840
  • 本 尊  阿弥陀如来
  • 開 山  増誉長円(ぞうよちょうえん)上人
  • 開 基  天文6年(1537)
  • 御朱印  武田家朱印状(天正6年)
  • 総本山  知恩院(京都市東山区)
  • 大本山  増上寺(東京) 金戒光明寺(京都) 知恩寺(京都) 清浄華院(京都) 善導寺(久留米) 光明寺(鎌倉) 善光寺大本願(長野

 由緒・沿革
 当山の開山増誉長円(ぞうよちょうえん)は、比叡山延暦寺阿闍梨(あじゃり)乗運公の弟で、知恩院で学んだのち修行のため諸国を行脚(あんぎょう)し、この地にやってまいりました。すると、以前鬱蒼(うっそう)と茂っていたと伝えられる松原は、戦乱のため伐(き)り払われ見る影もなく荒廃しており、住民は潮風の害を受けて苦しんでいました。

 これを見た長円は、松原を元の姿に戻そうと考えましたが、この浜は荒い石の原で砂地が少なく、潮風も強いため、松苗を植えることは容易ではなく、なかなか根付きませんでした。長円は松苗を1本植えるごとに阿弥陀経を誦(じゅ)し、植え且つ読経(どきょう)しつつ、ついに1千本の松を植える悲願を達成しました。天文6年(1537)今から450年ほど前のことと伝えられています。

 時の政府は、枝1本腕1本という厳しい法度(はっと)を設けて、この松原を保護しました。現在の千本松原の美林は、増誉上人の尊い植樹と住民の愛護のたまものです。

 人々は増誉上人に感謝し、庵(いおり)を建立しました。これが千本山乗運寺の開創です。
天正10年(1582)松平周防守康親(すおうのかみやすちか)は、三枚橋城主になると当山を菩提寺(ぼだいじ)とし、死後当山に葬られました。また、安永6年(1777)水野出羽守忠友(みずのでわのかみただとも)が沼津藩主に封(ほう)ぜられて以来、水野家は当山を菩提寺としました。

 当山第3世雄誉霊巌(れいがん)は、沼津土佐守氏勝(とさのかみうじかつ)の三男で増誉上人のもとで出家、当山を整備したのち知恩院第32世として知恩院の諸堂を再建した名僧です。

 第26世林彦明は、当山の環境整備に務め、「沼津積善会」を発足させて仏教教化活動を積極的に行い、同志に呼びかけてルンビニ幼稚園を創設しました。昭和5年には推されて大本山百万遍知恩寺の第70世法主(ほっす)となり、退いてのち(日華仏教研究会)を組織し、幹事長として中国へ渡り、日中平和に力の限りを尽くしました。大僧正司教勧学、当山の歴史に残る名僧です。

 当山の堂宇(どうう)は昭和20年7月の戦災によりすべて灰燼に帰しましたが、第27世林輝彦は檀信徒とともに再建に努め、同40年5月約100坪の総檜(ひのき)材による客殿式本堂が落慶し、同48年には集会堂・庫裡(しゅえどう・くり)が竣工。同61年には区画整理事業に伴う墓地整理も完了、山門・塀も竣工し、念仏浄業の道場としての境内の浄観が整いつつあります。
 なお、千本松原を愛し、この地に没した歌人若山牧水は、当山墓地に静かに眠っています。 

                      住職  林 茂樹

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