049  臨済宗  安泰山  徳源寺 (あんたいざん とくげんじ)

  
   沼津市原297
   TEL.(055)966−0020   
  • 本尊 釈迦牟尼如来
  • 本山 京都市花園 妙心寺
  • 開山 敕賜圓満護国禅師賢宗祖鑑大和尚ししえんまんごこくぜんじけんじゅうそかんだいおしょう

  
  
 開山の由来
 建久4年(1193)源頼朝公が行った富士の巻狩りの際、陣屋が置かれたことから始まりました。境内地は、現在「御殿場」という地名として残っております。その後「今津寺」という律宗の寺院を経て、鎌倉円覚寺開祖仏光国師(無学祖元禅師)の弟子帰化僧賢宗が、北条時宗の帰依を受けて弘安元年(1278)に徳源寺として創建しました。賢宗は、円覚寺建立に尽くされ、その功績により後光厳天皇から圓満護国禅師の諡号(しごう)と紫衣(しえ)を賜っております。

 現在までの沿革
 円覚寺派を経て戦国時代には、吉原宿今泉にあった今川家公寺善徳寺の末寺となり、その後承應3年(1654)妙心寺派中本山興津清見寺の松巖宗蜜(しょうげんそうみつ)老師を拝請し準開山とし清見寺末寺となり妙心寺派となりました。江戸時代には、徳川家光から修復料百両と寺領14石の朱印状を受けております。時の権力者の影響を常に受けていたお寺といえます。

 寺に伝わる宝物
 境内には「頼朝お手植えの松3代目」とされる数百年たった松があり、庭は東海道の名園といわれた原宿の有徳家植松本家の「帯笑園」の名残を残す富士山の溶岩の庭「対笑園」があります。

 原宿は、江戸時代宿場町として栄え、公家、武士、朝鮮の陶工等多くの文人墨客が江戸時代後期に訪れ、これらの方々が残した墨蹟・画・書等を画帳にまとめた「搨(とう)錦帳」やオランダ商館長ヤン・コック・ブロンホフの書や岸派(がんぱ)・四条派の絵、白隠禅師の墨蹟等有しております。

 これらの書画は、当時を知る文化財として益々貴重なものになっていくと思います。

                 住職 江本 宗謙(えもと そうけん
戻る