005   真言宗  愛東山  光厳寺(あいとうざん こうごんじ)


 
  沼津市鳥谷497
    TEL.(055)966−3762

 
 光厳寺文書の中に下記の如くある。

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 「遠州駿河郡鳥谷村愛東山光厳寺儀愛鷹大明神之別當古跡其隠(ソノカクレ)御座無くといへども乱世之時分、寺衆落申し当然退転に当院之記録旧記等紛失仕り、当開基之人、年代之様子も明白成(ナル)証拠之れ無く候。

所之者云伝え申し候は、住吉愛鷹明神出現、以後愛鷹の山中にがらんを立て、年月久敷相勤中古ふもとに引下り当院を建立仕候所に、松平玄番殿此所一城の地二成らせられ候に付、代替地鳥谷村に相渡り候故、又此地へ引越し候。之れに依り一城之跡を廣国寺と申し候。

右山中寺地之跡並に廣国寺之寺屋敷に今明白に御座候。然に慶長年中光厳地一代古跡之退転致す事をかなしみ寺庵を立てられ、其時之御代官長野九衛門殿へ右之様子申立御訴訟申候へば鳥谷村あ原之内然る可き所を見立て郷中百姓と相談を以て新田開発仕り、重て退転無く相続仕り候様にと証拠を出し成され候。

 其後元和5年に石谷右衛門八殿、同9年に井出藤左衛門殿寺領山林等之証拠御出し成され候。其己後大猷院様之御代御朱印之御訴訟も上られしに付、御代官三代己前之野村彦大夫殿穿鑿成され候へば、光厳寺領高25石2斗余並に寺中門前山林竹木諸役等、先規に従り御免之所紛れ無く御座候故、御奉行様へ右之通之御指出成らせ候に付、有難く御朱印頂戴仕り候。

                                 駿州鳥谷村  光厳寺
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 以上のように、愛鷹明神を祭祀し、愛鷹山中に伽藍(がらん)を備えていたというものの、根古屋地先に光厳寺沢という地名があることから、松平玄番守の興国寺城築城(ちくじょう)についての引っ越し以後は確実なところと思われる。

 また、弘法大師直筆の不動明王の掛け軸があるとはいうものの明治時代において既に修復不可能とあり、痛みがひどくかすかに姿が拝されるにとどまる。
 近年に至っては、節分に行われる「星祭り」の催しにおいて、蒲原、由比方面からも泊りにての参拝者もあったということで往時が偲(しの)ばれる。

 弘法大師を開宗の祖とする高野山真言宗の末寺として、境内に、四国八十八ヶ所の御砂踏霊場(おすなふみれじょう)を備え、2月節分の「星祭り」4月の正御影供(しょうみえく)として火渡り柴灯護摩(さいとうごま)の祭典が行われ、にぎわいをみせている。
                                                                                                      
                                住職  五味 昭道

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