080           白隠宗 大本山 鵠林山 松蔭寺 (こくりんざん しょういんじ)
  沼津市原1283−32
     TEL(055)966−0011
  • 本尊 釈迦如来
  • 開山 天祥(てんしょう)和尚

    
 松蔭寺の由来
 弘安2年(1279)に鎌倉円覚寺開祖仏光国師の法嗣天祥和尚が開山、その後、慶安年間(1648年頃)興津の清見寺大瑞(せいけんじだいずい)和尚が再建して妙心寺派に属し、享保2年(1717)、白隠慧鶴(えかく)が第5代住職となります。
 禅宗は自らも極貧の食事と厳しい修行する禅風で、この徳を慕い400人もの修行僧が全国より集まり、名声は天下に響きました。

 池田候の擂(す)り鉢
 白隠禅師70歳の頃、深く帰依していた31万石の岡山城主池田候が参勤交代の折、松蔭寺に立ち寄り、清談されました。池田候は帰る時、禅師に「何か望みの物がありませんか」と喜捨を申しでます。

 当寺、松蔭寺では修行僧が多く、食料に貧窮していたのですが、禅師は「これといってないが、擂り鉢を壊してしまったので、一つ贈ってください」と伝えました。
 池田候は禅師の高潔さに感動し、備前焼の大擂り鉢を数個作らせ届けました。禅師はその中の一つを境内の松の枝の折れたところに懸けました。松の木が潮風や雨で枯れないようにと心を配られたのでした。

 池大雅(いけのたいが)の一偈(げ)
 日本南画の大成者で独歩の画聖と称される池大雅は、29歳の時、禅師に参禅して悟境を深め、その作品は現在、重要文化財として保存されているものもあります。
 ちなみに、大雅は白隠禅師に次のような一偈を呈しています。

 耳荳得聞隻手響  耳能没了尚在心 
 (みみあにせきしゅのひびきをきくをえんや みみよくぼつりょうしてなおこころにそんす)  
 心能没了尚難得  却識師恩不識深
 (こころよくぼつりょうしてなおうることかたい かえってしるしおんしらざるのふかきを)

 白隠禅師は臨済禅を中興し、多くの弟子と信者を育てました。また、「達磨図」「観音菩薩」などの書画もあり、禅画の代表作といわれ、見る人の心をとらえてやみません。
 松蔭寺では毎年4月29日(祝日)に白隠禅師の書画を一般公開しています。ぜひ御来山ください。

                         住職 宮本 圓明(みやもと えんみょう)