S2000購入記 2003/11/03

 

 それは1999年のとある日・・仕事中にふと思った。「よし、S2000を買おう!」思い

つきといえば思いつき。自分への挑戦とでもいうべきか。

 当時、ホンダ50周年モデルとして発表されたS2000。それ以前からもモーターショー

でSSMという名称で発表され開発は進んでいたが、1999年についに世に送り出されてきたのだ。

 

 僕はそのころ、BEATに乗っていた。ミッドシップアミューズメントをキャッチコピー

に発表された軽規格のミッドシップオープン2シーターである。

 軽なのにミッドシップ。軽なのにオープン。軽なのに・・軽4輪という制限の中でこ

れでもかと言うくらい異彩を放つ名車だと思う。

 軽は車幅、車高、全長などにあわせてエンジンの排気量660CC以下、最高出力は64PS以

下という制限もある。そんな枠の中で当時は各社が挑戦的な軽のスポーツカー発売

していた。スズキはカプチーノ。マツダはAZ-1、そして我がビートである。

 これらの中で、カプチーノ、AZ-1は、外見は違えど心臓部は同じ、F6Aを搭載している。

 (後のマイナーでカプチーノはK6Aに変更)

 カプチ、AZ-1はターボチャージャーを搭載し64PSを達成してるのに対し、ビートは

NAで64PSを発生している。ホンダ技術陣の熱いメッセージがここに込められていると感

じるのは僕だけだろうか?

 ビートのエンジンはE07Aであり、これは他のホンダの軽シリーズ、トゥディ等と概要を

同一としている。しかし、トゥディの最高グレードでもエンジン出力は52PSに留まって

いる。ビートは、このエンジンをベースにコンロッドの軽量化、吸排気の最適化などを

行い、64PSを達成した。

 エンジンの限界回転数8500rpm、そして、そこまでストレスなく吹けあがる快感、カチ

カチと決まるショートストロークのシフト、幌を開け放ちひとたび走りだせば、コーナー

でドライバーをコマの中心のようにスッとノーズが行きたい方向を指し示す。

 ホンダが作り出した世界で最も小さい最高のスポーツカーであろう。

 

 話がそれてしまったが、S2000である。買おうと決心はしたが車体だけで350万円もす

る自動車を一介のサラリーマンがポンと買える訳もなく、色々考えてみた。冷静に考え

れば年収を上回る金額である。飲まず食わずでビタイチ金を使わずに一年。それは無理

である。

 普通の口座だと自由に下ろせて便利なのだがすぐ使ってしまう・・・そうだ。

財形にしよう。財形とは財産形成預金と言い、給料から会社が天引きで貯金をしてくれ

るという制度である。つまり、自分の手許に届く給料は事前に貯金分が差し引かれてい

るというわけなのである。

 この制度を入社以来使っていたのだが、月々2万程度であった。それでも、バイクの購

入資金に使ったりパソコンを購入したりで使っていたのだが・・・。

 S2000を購入するとなると額が額である。350万円・・・。決心した。月々10万、目標額は

400万。40ヶ月の長旅である。とりあえず3年頑張ろう。この3年という歳月にも深い意味が

あったのだ。

 当時のS2000は幌のリアスクリーンがビニールだったのだ。マツダのロードスターもフ

ルモデルチェンジを受けてリアスクリーンがガラス製になっていたのにである。

 ビートに乗っていたことは前述したがビートもリアスクリーンはビニールであった。

ビニールはその素材の性質上どうしても傷がついてしまう。幌の開閉時もそうであるが

普段のメンテナンスにもとても気を使ったものだ。砂などをかんでいると見えない傷で

スクリーンが曇ってしまうのだ。また、メンテナンスを怠ると「宇宙からの侵略者」と

呼ばれる白い曇りが発生し、後方視界が皆無になってしまうのである。僕もビート時代

にリアスクリーンは2回ほど交換した。

 ロードスターでさえガラスなのにS2000がビニールでは・・という考えもあり、リアガラ

スキット・・もしくはマイナーでガラスになることを期待し、初期モデル中は貯金と情報

収集に没頭することにしたのだ。

 

 貯金を決心し、会社での手続きを済ませ月々10万の財形貯蓄が始まった。僕の給料は

当然ながら先月の給料よりも10万円少ない・・・。当時は残業もそこそこあり、独身だった

こともあり気楽に考えていた。それよりも、あの車に乗りたいという情熱があったのだ。

1年、2年と月日は流れたが、そんな折、ホンダから嬉しいニュースが発せられた。

「S2000マイナーチェンジ。リアスクリーンをガラスに変更。足回り変更。コンポに時計

搭載」である。

そう、マイナー前は時計がついてなかったのである。強烈にストイックさを発揮してい

た。足の作りもハードで乗り手を選ぶマシンだったのである。そして、ついに待望の、

リアガラス化。購入動機をすべて満たすモデルの登場となった。

 人生とははかなくも美しいものである。20代も後半のこの時期に僕に人生最大のイベン

トがやってきた。

 そう、結婚である。S2000購入決意を固めてから2年後に交際を始めた現在の妻との結

婚をも決意してしまったのである。ありがちな、車を取るか女をとるかである。

ともすれば、この相容れぬ二者を同列に扱うのは大変失礼な話であるが、経済的見地から

見ると妥協を許されない、極めて緊張を強いられる究極の二者択一なのである。

 結論から申し上げると二兎を追うもの二兎を得たのである。一挙両得なのだ。結婚を

決意し結婚資金は以前からの定期預金を解約し捻出。S2000貯金は減額することなく続行

できた。しかし、当然、現妻、当時彼女からの反対もあったのである。

 それは至極当然であり、将来的に子供も出来れば二人乗りのオープンカーなんぞまっ

たくの趣味車になってしまう。しかし、これは僕の夢であり自己への挑戦なのだ。とか

うまいこといってどうにか言いくるめて事なきを得た。

 当時、僕自身も購入意欲はあってもやはり悩んだものだった。買うモチベーションは

極めて高かったのだが、最愛の妻の若干ながら遺憾の意を発しており・・。そんな状況を

周囲にもらしてしまっていたのだが、一人の友人の発言が僕の背中を押すことになった。

 「S2000買おうとして、結婚したらファミリーカーになったら今、彼女なしでスポーツ

カーに乗っている奴らに『やっぱ結婚はねぇ・・』等と言われちゃうよ」

 すべてはハートなのである。彼女を想う熱いハートも車を買おうとするハートも同じ

なのである。

 僕一人でも愚行にも思える結婚するのに2シーターという暴挙を成し遂げ世の独身男性

に改めて問う!車も女も家族も捨てない!両立してみせる。等とかっこいいこと言えば

そうなのだがつまるところ、どれも捨てられなかったのが現状なのである。

 結婚してるのにスポーツカー。子供がいるのに2シーター。それもまた一興。結婚は男

にとって人生の墓場ではない。自由になる金が少なくなっても夢と熱いハートで乗り越

えていくのだ。常に挑戦。それがカッコいい男の道なのだ。

 結婚とS2000購入がはからずもほぼ同じタイミングとなってしまったが、これも人生の

綾である。

 財形貯蓄にて370万円程度の現金ができ、いよいよ購入の段階となった。2001年末にディー

ラーを巡り見積もりを依頼した。そんななか、友人の紹介でとあるディーラーを紹介し

てもらった。その友人がディーラーの社長と懇意ということもあり、他の店で買うより

若干の値引きをしてもらい、営業マンやサービスも悪くないのでその店での購入を決意

した。本来はS2000は扱っていないのだが、今はあまり関係ないらしい。

 さすがに込み込み400万の書類に判をつくときは緊張したが押さないと始まらない。今

までの苦難から開放される瞬間である。

 実際には、財形にて370万円の貯蓄があったのが一気にスッカラカンになるのは危険と

いうことで両親が100万円ほど貸してくれることとなったのだ。これがまた苦難の始まり

となるのだが・・・。

 300万円+両親から借りた分100万にてS2000の購入が決まった。グレードは一番下。と

いってもバリエーションの少ないS2000である。上位グレードと言ってもナビが付いたり、

ホイールがBBSになったり、あとVGSと呼ばれる速度によってステアリングのギアレシオ

がかわるシステムを搭載したグレードもあった。BBSのホイールは悩んだが、純正以外で

もデザインの素晴らしいホイールもあるし後々の楽しみということで、素のグレードと

したのである。

 

 2002年の春が始まろうとしているころ、待望のS2000納車の日が訪れた。ナンバーも希

望ナンバーにてその西暦と同じとした。ディーラーにて受け渡しの朝、店のガレージか

ら出てくるこれからの愛車を見たとき、最初にホイールに目が行ってしまった。そう

BBSのグレードにすべきか考えていたのだが、現車を見てこのアルミでも十分カッコいい。

これでよかったと思った。営業マンから一通りのコックピットドリルを受け、ついに3年

越しの夢が現実のものとなったのである。

 その後、両親から借りた100万円返済のために今度は月々5万づつの返済をしていくこ

とになった。さらに、生活費4万円、妻に1万円(これは扶養手当)計10万円の出費であ

る。さらにS2000のチューニング代を捻出すべく前出の財形10万円も継続していくことと

なった。これは正直、厳しかった。残業があればかろうじて赤字にはならないものの、

残業0だと赤字になってしまった。その分の補填は別口座の預金を下ろしたりして当場を

しのいだ。

 そして、晴れて2003年9月にて両親への100万円返済も完了し晴れてS2000は名実ともに

僕の物となったのである。

 振りかえれば、このプロジェクトも多くの人に支えられ成し遂げられたものだと

思う。妻帯者の2シーターは不可能ではない。理解ある、妻、両親、友人たちの支えあっ

てこそ購入できたと言っても過言ではない。

 特に妻、妻の実家には感謝の念が堪えない。嫁入りとして僕の実家に入ってもらって、

なおかつ嫁入り道具としてファミリーカー(ホンダ・フィット)を持たせてくれたので

ある。別居していればS2000は夢で終わっていただろう。

 あらゆる要素が上手くかみ合い、今、僕はS2000のスティアリングを握る。年収を越え

る車を駆り、道楽街道をひた走る。

 世の妻帯者、独身者、男性、女性、すべての方々に申し上げたい。

 

夢は実現できる。

 

夢に向かって走り出そう

 

 

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