NO.7掲載【2000年10月発行】  

人のために働く、
命ある限り。

石川文江さん 86歳
(富士市天間在住)


毎月第3日曜日に集合する「老壮友の会」
最高齢は92歳
(前列左から2番目が石川さん)

 


毎年9月に集まる
「石川文江先生を囲む鷹小3年2組の会」
子どもは67歳

 「おばあちゃんといわれるのが大嫌い」という石川文江さんは、永遠の「せんせ〜い」である。でも先生は、生徒と言わない。「みんな私の子ども。いくつになっても子どもは子ども。抱きしめたいほどかわいいです」と顔をほころばせる。そんな先生を慕って、また子どもたちが集まる。
 石川さんは静岡女子師範学校を卒業し、小学校の教師となる。その頃からすでに「世の為人の為、いつかは奉仕の仕事がしたい」と考えていた。それは小学五年の国史で、奈良朝時代の光明皇后が病人や捨て子などのために施療院や孤児院を設けてめんどうを見てくださったことを学び、強く心を打たれたからだった。
 39歳の夏、病気で手術をしたことをきっかけに、22年の教職生活に涙しながら別れを告げる。そして東京の編物服飾学校へ通い、卒業と同時に『石川編物技芸学園』を開園。技術の習得を通して精神と経済的能力の養成にあたり、女子の成人教育に力を注いだ。
 いよいよ、その時がきた。一人息子が大学院を終えて一本立ち(現在、金沢工業大学学長)したことを機に、ずっと胸の中に温めていた「奉仕の仕事に生きよう」と決心。52歳の春、『留守家庭児童会・石川学園』を開園した。納屋を改装・増築し、母屋の二間も開放、庭で遊べるように樹木を隅へ植え換え、ブランコや鉄棒も備え付けて…「みんな夫がやってくれました。やさしい人でした。感謝してます」。そのご主人も28年前に他界し、以来一人暮らし。「でも、ちっとも寂しくないの。子どもたちがいるから」と、敬老の日に渡された手紙の中から一通を見せてくださった。『先生はぼくがはじめてきた日からやさしくしてくれました。ありがとうございます。先生はいつも100歳までは生きられないって言うけど、ぜったい100歳まで生きてください。でないと、ぼくは寂しいです』…(ポロリ)…「家庭の事情もあって荒れていた子が、みんないい子になって卒業していきます。10年後の再会を約束してね」。こうして送り出した子供は35年間に六○○名を数える。
 今年四月、石川さんはもう一つの夢を実現させた。それは、高齢になった仲間を集めてのお楽しみ会『老壮友の会』である。その送迎を買って出たのが43歳になる石川学園一期生。いま石川学園を喜んで手伝っているのが編物学園の一期生。「まわりに奉仕家がいるおかげです」と感謝する石川さん、みんなに囲まれていつまでもえびす顔で!