遠藤さんについて書かせて頂いております

ひと遠藤誠

はじめに

 私たち夫婦は、結納から結婚式まで4年間という時間の経過がありました。ワイフはよく私が何か食べていると「Meにもちょうだい」というように、自分の事をミーで表現していました。そこで私も「Youのはそこにあるでしょう」というように「ユーのは・・・」「ユーはそうすれば・・・」などと言っているうちに自然にワイフの事を「You」と呼ぶようになり、40年以上もそう呼び続けております。ついに正式の名前は一度も口にした事がない訳です。ワイフの方は、私の名前の半分をとって「Mako・・・」と呼んでいました。そしてそれが40年以上続いているわけです。無意識に教え子の前で「マコ・・・」が出るので、成人した教え子から「マコ元気?」などと言われておりました。 「MAKO belong to YOU」にはそういう特別な意味があったわけです。意識のないワイフが「I love you forever」に対して、こんな力がどこに残っていたんだろうと思うくらい私の手を何回も何回も強く握ったのに、「MAKO belong to YOU」には「冗談言っちゃって」とでも言うように、私の手をゆらりゆらりと大きく横に振っていました。意識のない中でこの区別をしている事に、ただただ驚きました。

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脳動脈瘤破裂により意識消失・・・
救急車にて病院へ・・・医師の言葉は・・・

 静岡からワイフのみやげを手に、いそいそと帰ると留守番をしていた隣家の方から「急いで病院へ」と。緊急処置室の前で待つと、出てきた医師から「至急、子供さんと主な親戚を集めて下さい」と。「子供はいませんから、私一人でいいんです」と。ワイフはベットと共にICU前の個室に、意識も反応もまったくなく酸素吸入を受け眠っていました。

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「意識消失の妻からのメッセージ」・・・
言葉のない会話のスタート・・・

 医師の言葉から危篤状態を感じ、ベッドの横でワイフの手を握り、意識の回復のみ祈り続けました。いつ呼吸が止まるか、おびえ続け、必死に語り掛けていました。苦しみだけで世を去られてはと、必死に話し掛けました。何の反応もありませんでしたが、私が「I love you forever」と言うと、私の手を強く、何回も握り続けました。その後、少し話してから「MAKO belong to YOU」と言うと、私の手を大きく横に振っていました。

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手術後。 必死の呼びかけの中で・・・。

 手術後、呼吸困難になり、看護婦からも医師からも 「今のところ手がない」と言われ、苦しむワイフの胸を片手でたたきながら、片手でワイフの手を握り、「何とか命だけはとりとめて欲しい」と必死に呼びかけている時でした。後になってみると16時間立ったままでワイフの胸をたたき続けていたわけです・・・。「こんなことをしていたら、ご主人が死んでしまうじゃないの」「奥さんのめんどう誰が見るんですか」と婦長さんに言われ、少しだけ自分の事を考える様になったのは、この後です。
 脳の手術直後、呼吸困難と心臓の異常で、生命の危機に立たされながら、私の二つの言葉にこれだけの反応を示したワイフに、その場で「意識消失の妻からのメッセ ージ」という言葉が頭に浮かび、後になって電話にて見舞いの声を掛けて下さった随筆家、召田照明先生にこのことを話たところ、私の登山について取材していた召田先生は「登山の話をやめて、奥さんのことを書かせて欲しい」ということになり「母と子のかけ足」の中で「妻からのメッセージ」として紹介くださったわけです。ワイフがこの本を読むところまで回復するかどうかわかりませんが、ワイフへのプレゼントになれば・・・と、刊行を待っていたわけです。

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看病、観病、感病、勘病・・・
本気で診ると心の中までみえてくる。

 早朝の病室なので、そっと入ります。・・・す やすやと眠っている日があります。右手は動くの で、切開してあるのどや鼻の管に無意識に手がい くのは危険ですから、右手はベッドの手すりに縛 ってあります。病室に入ると、真っ先にそのひも をほどき、そっと手を握っています。・・・苦し そうであったり、不安そうであった表情が穏やか な、安らかな表情に変わってきます。時には微笑 みすら浮かべる日があります。・・・でも寝息は 相変わらず、すやすやと続いています・・・。  口を拭いた後は、顔を温かくしぼったタオルで 拭いていきます。苦しそうな、辛そうな表情が、 拭いているうちに次第に幸せそうな表情に変化し てくる日は調子の良い日で、体調がよくない日 は、こういう変化が生じないのですぐにわかりま す。完全に調子の良い日は私が拭きやすいように 顔をうごかしてくれます。こういう小さな反応か ら体調を知ることができます。

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 顔を拭くと、すぐにクリームをぬっていきます。私のいない間は、手を縛ってしまいますので、かゆくてもかくことができません。それで、顔やあご、のど、胸など、かゆくなりそうな場所にかゆみ止めのクリームをぬりこんでから、ハーブのリップクリームをぬり、やはりハーブのフェイスクリームを顔にぬります。ハーブは香りがよく安らぎの効果もありますが、夏の間は蚊よけ効果もあり、ハーブのクリームを集めています。表情の変化はクリームをぬる瞬間が最もよくわかります。体調のよい日は本当にうれしそうな表情に変化していきます。リップクリームをぬると唇を深くあわせてルージュをぬる時、女性がよくする動作をしますので、体調はよくわかります。体調のよくない日はそれができません。
 口や顔の手入れの後は、手、足を拭いていきます。拭きながらリハビリ効果を考えて関節や筋を意図的に動かしていきます。そこでも小さな反応の変化や拭く時の変化する表情から、意識の変化を感じとるようにしています。手足を細かく観察していると看護婦さんの処置の状況は手にとるようにわかってきます。処置の手抜きをすると手足が痛んで赤くなっていたり、ひどい時は紫色になっていてすぐにわかります。そんな日は温めたタオルで何回も何回も丁寧にマッサージしながら拭いていきます。
 点滴のみで何カ月もいたり、流動食(鼻の管から容器で点滴のように流す)で何カ月もいると、食物を口で飲み込むという動作が消えていきます。万一飲み込めないで肺に入ると、即肺炎をおこして生命が危険です。そこでゼリー状の食品で飲み込みの訓練を始めたところ、何カ月も口に何も入れていないので、甘さを感じないくらいのコーヒーゼリーでも、甘さを抑えてあるフルーツゼリーでも、嫌がって飲み込まない。無理して飲み込んでもらっても、のどの管から飛び出してきてむせてしまう。何かいい方法はないかと考え、塩味の重湯をゼリー化できないものかと料理教室の先生に相談したところ、さっそく試作品を病室に届けて下さり、婦長さんの手で口に入れたところ、飲み込んでくれてむせることもなかった。その夜、梅干しを入れた重湯を作り寒天でかためてゼリー化し、翌日婦長さんに見ていただき口に入れると、ただの重湯ゼリーよりも飲み込みがよかった。その日から重湯を寿司味、抹茶味、ワイフの好物のミョウガスープを・・・と、様々な味の塩味ゼリーを作り続けた。やがて主治医より「粥風ならなんでもよいから、奥さんの好きなものをご主人が作ってきて、ご主人の手で奥さんの様子を見ながらやって下さい」という指示をいただき、スープからみそ汁風に変化し、粥も昆布茶で煮るようになり、みそ汁を裏ごしして加え、寒天で固めて小型タッパーに入れて持っていくようにした。

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 手術後何カ月かが過ぎ、早朝の病室で「おはよう」と何回言っても反応がないので「Good morning」というと、口が動きます。そこで、「Good morning how are you?」「This morning fine is one finger」「This morning worry is two fingeres」…に指を1本出してくれました。「Good good!」「Ok ok ok!」と私が喜ぶと何となく表情がやわらぐように感じました。粥やゼリーにしても「Have you breakfast?Yes one finger.No two fingeres」に指が1本出ます。そこで、カップに冷たい水を入れ、スプーンを3本ぐらい入れて、スプーンのおなかで舌をマッサージします。唾液があふれ、それを飲み込むのを見ながらゼリーや粥を入れます。「おいしかったら指1本、すごくおいしかったら指2本、まずかったら指3本」に、ほとんど指2本。時々は1本。3本は2回ありました。すべて塩味のうすい、こいからでした。頬を軽くマッサージしただけで、唾液があふれてきてさかんに飲み込みます。人体の不思議さを感じます。
 毎晩、夕食後に洗濯をします。下痢もよくしますし、量が多いとバスタオルから寝巻まで大便でよごれます。夜の洗濯のために汚れはなかなか落ちません。手もみでかなり洗ってからネットに入れ、洗濯機に入れます。すすぎの最後は、いろいろ試し、香りの最もよい仕上げ剤を使い、1年以上ただベッドに横になるだけで寝返り一つできないワイフに、せめてもの寝心地の良さをつくってやりたいと、寝巻探し、タオル探しが出張終了後の日課にしています。せめてワイフ好みのものに包まれて過ごせるように努めています。
 入院は2年目となり、ワイフにとってはつらい毎日ですが、召田照明先生により、中教出版から発行された「母と子のかけ足」の中に「妻からのメッセージ」として紹介されたことと、病院の院内報に紹介していただいたことなど、それぞれの先生方とのふれあいが心と心をこえて出版されたことなどが明るいニュースであったと思います。
 本年は私への講演依頼も例年に比べ多く、看病を通して人を見つめる目が変わったことで、話す視点が変わったことを感じております。「人間は本物の体験を通して心を開く」。言葉のないワイフの目と表情を見ながらワイフの私への期待を教育の中で語り続けたい。そんな思いで次々に頭に浮かぶ演題をレジュメにして残しています。

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 早朝、ワイフの口、顔を拭きながら「今日は登山の案内があって、ゴール後はみんながビール飲みながら反省会をしたいというので、今日は今だけだよ。明日の朝、早く来るから待っていてね」と、話ながら拭き続けると、右手で私の腕、胸、腹を次々になでていました。私の感じではいたわるように、なで続けていました。「私が登山するから心配しているのかな?」「帰ってから気の合ったグループで気分良く、ビールを飲み過ぎると困ると思い心配しているのかな?」に小さくうなずいていました。入院数百日寝返りもできず、頭も動かすことのできないワイフが私を気づかって心配してくれているのです。私が中学生と危険の多いコースで登山しているころ、近所の人が「奥さん1日中仏壇の前に座っていましたよ。」と言われ続けましたが、生徒の無事を祈り続けていたワイフにとって「登山」が危険な事として心に強く残っているようです。

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 「登山」と聞いただけで表情を曇らせます。心配そうな表情で私を見つめますので、「ゴールしたら、すぐ病院に来るから待っていてね。」と言いながら病室を出て、ゴール後、病室に向かい、少しでも長く部屋にいてやろうとするため、登山の日は帰って洗濯、食事をすませ、風呂に入るころは12時をまわってしまい、長い1日となります。「身延山50キロハイキング」が近づくと、毎日のように「you、1月17日はね、身延山50キロハイキングがあるのよ。you、身延山50キロハイキングってわかるかな?いつもその前夜はyouが寝ないでいて、私が出発したあと休んでいたよね。真っ暗な道を文化センターに向かう私を、坂に私が消えるまで玄関に立って送ってくれていたこと思い出せるよね?」に、うなずいていました。「いつも私が午前2時頃起きていたことも思い出せるよね?文化センターに役員は午前4時集合だから朝は病院にはこれないことわかるね?そのかわり、ゴールしたらすぐ病院に来るからね。わかってくれるね?」…を繰り返して言っていました。…ハイキング当日、ゴールした後に病院に向かうと、夜の看護婦さんに言われました。「朝から橋枝さん石の地蔵さんみたいに体がコチコチだったけれど、ご主人が帰ってきたら体が柔らかくなっている。よくしたものですね。」「橋枝さん、ご主人を心配していたのね」と言っていました。心配して体に力を入れ、コチコチになっていたようです。…右手を差し出すので握っていると、いつものように握る手の力を変え、指で話し掛けてきます。手のひらと手のひら、指と指の会話。その微妙な強弱と握り方の変化で心がよく伝わってきます。左手をワイフの肩、首の下に差し込んでやり、首の後ろや肩を柔らかくもみほぐしてやると、安心したのか眠ってしまいます。