|
いいだしっぺ田島の現在に至るまで・・・。 ●今から6年程前、当時世田谷に住んでいた妹に教えられ、羽根木プレーパークへ行った。都会の中のなんとも言えない空気に感動し、興味を持つ。第一印象は、「自分も子どもの頃にこんな所で遊びたかったなあ」。 ●妹にプレーパークで発行しているチラシ等を送ってもらったり、本を読んだりしながら、私のプレーパ ークへの思いはどんどんふくらんでいった。 ●周囲のおとな達に喋ったり、本を貸したり・・・、抑えきれない思いをぶつけてみるが、言葉だけで伝えるのは難しいなあーと実感する。 ●市内でこどもたちをめぐる環境について語りあっているというグループ「富士こどもネットワーク」というのを知り、学校の事、不登校の事、虐待の事、遊び場の事・・・など色々な話を聞きながら、プレーパークを立ち上げたい気持ちはどんどん高まる。・・・が、何からどうしていいのか、頭だけでいろいろ考えすぎてしまって、初めの一歩が踏み出せなかった。 ●しゃべりまくっていたウチの中の人から、「こどもの国」の開園準備に市民としてかかわっていかないか、という話をもちかけられる。「あんな遠くに・・・」と少し疑問を感じてはいたが、準備室がプレーパーク を意識していると聞き、加わる事にする。 ●ブンチャ(こどもの国プレーリーダー)と出会う。そして「冒険遊び場全国集会」を知り参加する。全国で活動している熱い気持ちに触発され、週一回や月一回で活動しているところがいっぱいある事を知り(羽根木しか知らなかったので)、出来るところから始めてみよう!と決心する。 ●その全国集会の1ヶ月後、取り越し苦労がウソの様に、プレーリーダー的存在として「島ちゃん」と運命的出会い?!今でも「島チャンと遊ぶ日」と呼んでいる子どももいる。 ●更にその1ヶ月後の平成11年1月23日、第1回プレーパークを決行!場所は以前から目を付けていた市所有の空き地(土手)。木登りにちょうど良い木があって、こどもたちは結構気に入ってくれたようだ。親からも「楽しかったんだなって、すぐわかるような、見たこともない程キラキラした顔で帰ってきた」「何か手伝える事あったら言って」「また遊ぶ時、教えて」という声を聞き、やってみて良かったと思った。こどもたちのイキイキとした姿こそがどんな説明よりも一番だった・・・と思った。 ●しかし、自分と島チャンの都合と相談で決める日程は、「第何週目の何曜日」とはっきり決められない。そんな色々な課題を抱えつつ、1年が過ぎた。 ●並行して参加していた「こどもの国」でのボランティアを通じて、「田島さんとこ行ってみたいなあ」とい う出会いがうまれ、「チエミちゃん」が強力な仲間として登場。火も使うようになった。 ●1年間遊んでいた場所が工事で入れなくなったので、少し場所を移動。幸い土手は長い! ●今年はなんとか地域の理解をもらい、物置が置けて、折角作ったものを壊さず次に発展出来るようになっていきたい。仲間も徐々に増え、頼もしい!活動日が固定できるといいなあ・・・と思っている。 |