003  臨済宗  普門山  正覚寺ふもんざん しょうかくじ)      
 
  沼津市小諏訪518−1
   TEL.(055)963−0385
  • 本尊 薬師如来(やくしにょらい
  • 本山 京都府 妙心寺(みょうしんじ
  • 開山 方室玄策(ほうしつげんさく)禅師 
 
 正覚寺は今から約300年前、原の徳源寺第9世方室玄策(ほうしつげんさく)禅師を開山に迎え、小諏訪の旧東海道ぞいに徳源寺の末寺「自覚庵(じかくあん)」として創建されました。

 自覚庵薬師如来縁起
 延宝8年(1680)元日早朝、前夜に竹林の中で異様な光を見た青野の村人達が行ってみると、眩いばかりに輝く仏像を見つけました。5年ほど青野(おおの)村に安置しましたが、松長村の人々に請われて松長に移されました。

 2年程たって松長に災いが起こり、人々は仏像に御堂がないことが原因だと考えました。同村の廣瀬豊房(ひろせとよふさ)はこの仏像をたいへん尊崇(そんすう)していたので、お堂の建立を発願しました。そこで、すでに閑栖((かんせい)(隠居)していましたが、徳望の高かった方室(ほうしつ)和尚に相談したところ、一院を建立したほうがよいというこのになりました。廣瀬氏は数年間辛苦して近里遠村の門を叩いて勧進にまわりました。元禄2年(1689)小諏訪の山田家より寄進された現在地に一院を落成することができました。廣瀬氏達は方室和尚に、寺号をつけることと住職となることを懇願しました。方室和尚により「自覚庵」となり徳源寺の末寺となりました。

 沼津空襲で爆弾の直撃を受け堂宇(どうう)は全焼し、古い記録は全て失われましたが、徳源寺より譲り受けた方室和尚直筆の「自覚庵薬師如来縁起」が現在当地に残されています。その中では、この薬師如来は聖徳太子の作と伝えられています。空襲の時には、老寺庭が厨子(ずし)ごと背負って逃げて消失を免れました。

 おまつりする他の仏様
本堂入口には、十六羅漢の一人「賓頭廬尊者(びんずるそんじゃ)」を安置し、「なでぼとけ」として親しまれています。かなり古いものだったようですが、空襲の時に焼けてしまい現在は戦後のものです。

 境内には三つの御堂があります。先々代の住職が移してきた、安産、子育ての仏様である「壺日審大菩薩(つぼにっしんだいぼさつ)」、小諏訪の網に引き上げられた地蔵菩薩、そして白衣観世音菩薩(びゃくえかんぜんぼさつ)を安置しています。この白衣観音は、天保8年(1837)今沢で疫病がおこった時に、杉本家7代目当主庄右衛門氏が知り合いの行者より譲り受け、日夜参籠祈祷(さんろうきとう)したら疫病が治まったといわれるものです。時を経て、杉本家より当寺へ寄附され、今も毎月17日には観音講が行われています。
 自覚庵として280年程歴史を刻みましたが、昭和46年、本堂再建に伴い、先住職福田州弘(ふくだしゅうう)和尚により「普門山正覚寺」と寺号を改めました。 

                 住職 小幡 宗寛 (おばた そうかん)

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