寺記によれば、開基日信上人(元和9年示寂)は京都の人で、何か深い理由があって三宝諸尊を笈に負って駿河国に下り、はじめ愛鷹山中に草庵を結び、後に柳沢の村人を教化して現在内山の妙蓮寺畑と称す地に一宇(いちう)を建立し、妙蓮寺と称したといいます。
その後、寛文年中(1662−73)に大洪水に遭い、堂宇(どうう)が流失したため現在地に移転、今に至っております。
寺宝の「三宝尊」は400年以前の京都当代の名工の作と伝えられ、「宗祖日蓮大聖人御尊像」は口伝(くでん)によると、日法聖人(日蓮大聖人の高弟で中老僧の一。光長寺開基同時二祖)御作、宗祖霊験梅木三体の一つで、日信上人が三宝尊とともに京都より伝来されたものといいます。そのゆえに、古来「三宝サンの寺」と呼ばれて信仰を集めております。
また、かつて三宝諸尊を勧請(かんじょう)していた宮殿(くうでん)(現在、檀信徒総位牌を奉安)は、もと久能山東照宮に安置されていた権殿で、宝暦6年(1756)に原宿の渡辺太重氏より寄進されたもので、徳川将軍家の定紋入り金具がついており、近年修復されました。
現在の本堂は、昭和48年に再建。庫裡は同56年に新築。そして昨年は本堂と庫裡の間に、檀信徒念願の客殿を新築。次第にその寺観を整えつつあります。 |