富士山麓にヨウム啼く 番外編 アキレス腱断裂記1 手術(前日〜手術当日) 25 Sep. 2001


2001年9月9日(日)、地域の運動会のムカデ競争でアキレス腱を断裂してしまいました。
すぐに手術を受けて入院生活を9日間送り、その後自宅療養に入りました。
やっとギプスが外れてリハビリに入り、「あと3週間で松葉杖が不要になる」と言われた
術後6週間目、不注意で転び、再度同じ足のアキレス腱を断裂してしまいました。

現在リハビリを再開し、松葉杖を右側1本だけ使って両足で歩くことができるようになってきました。
(m 2002年1月8日記)


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2001年9月8日(土)断裂前日
浜松に映画を見に行く/台風15号

●平成13年9月8日、台風15号が静岡県上陸かと言われていたが台風のスピードは遅く、まるでどこかで道草を喰っているの
ではないかと私たちはもどかしく思っていた。「来るなら来い。来ないなら来ないとはっきりしろ!」と前日からSと2人で
言っていたのには理由があった。それは翌9日はまさに区民運動会だったからだ。
去年は残暑と言うにはあまりにもいい天気で朝から太陽に灼かれ、最後まで競技種目に出続けなくてはならなかったのだった。
喉の乾きはおさまらないし、筋肉痛はひどいし、何より日焼けと頭痛で大変な目に遭ったのだった。今年も絶対に種目にずっと
出続けることになりそうだったので、9月の暑い時期の運動会はいやだと思っていた。当日雨になれば12月に延期。
逃げることができない運動会なら、せめて寒いくらいの時期になることを願っていていたのだった。

●とりあえず、8日は「やりたいことをやっておこう」ということになり、新幹線に乗って浜松に出かける。
お目当てはヴァージンシネマス浜松のプレミアスクリーンで上映される『あの頃ペニー・レインと』だ。
非常に清々しい青春もので、人生の岐路を若い頃に迎えた青年が自分の道を歩んで行くというイニシエーションものだ。
70年代のファッションや音楽、風俗といったものも懐かしかった。とにかくとても好きな映画で、本当に今日映画を見に来て
よかったねとSと帰りの新幹線で何度も話した…本当にこの日映画を見にでかけておいてよかったと翌日思ったのだった。



2001年9月9日(日)  1日目

朝起きた時は雨…

●朝早く起きて外を見てみると、雨が降った後で、これはいかにも運動会延期になりそうな空模様。時々ザーッと雨が降っている
ので、12月まで延期は確実だろうと思っていたら、7時に非情の花火が(泣) 花火があがれば運動会実施とのこと。
これは実施というより強行だよね、でも去年ほど蒸し暑くないだけでもよしとするか…と暗く沈む気持ちを何とかいい材料を
見つけて明るくしようとする私たちだった。食事と片づけをして、ヨウムの世話をしてから小学校のグラウンドまででかけ、
開会式からすごい雨に降られたのだった。学校主催の運動会なら絶対に中止になるくらいの雨だが、これだけ規模が大きくて
みんな仕事の都合をつけたりして出ているのだから、簡単に日にち変更できなかったのだろう。
もう来てしまったからにはやるしかない…というのがこの時の気持ちだった。

ウェットティッシュ、ティッシュペーパー、塩2袋

●地域の運動会は、一応プログラムにある競技のどこに自分が出るか事前に決まっていても、当日欠席があったりして人数が足りな
いと、どんどん借出されて競技に出場しなくてはならない。私とSはもうこうなったら出るしかないよね!と気持ちはすっかり
前向きになっていた(笑) 競技に出ると1位から順に商品がもらえるのだが、私が午前中に貰ったのはウェットティッシュ、
ティッシュペーパー、塩2袋の4品。実は最後の塩1袋は私が自分で受取ったのではなく、怪我をしてウーウー言っていたら、
誰かが届けてくれたのだった。塩は別にしてウェットティッシュとティッシュペーパーは、その後入院する自分が入院生活です
ぐに使う物だとは思ってもみなかった。「自分で使うものを自分で獲った」というところだろうか…。


午前中最後の種目、ムカデ競争

●ムカデ競争のメンバーが呼ばれて、応援席の外に出る。どんな人たちと一緒に組むのかなと思っていたら、私が先頭だと言う。
嫌な予感が…。メンバーはみんな顔見知りだったのだが、私よりずっと背の高い人ばかり。私が先頭で大丈夫なのだろうか。
しかも私たちがスターター。スターターが嫌だったのではなく、何となく危険な予感があったのだった。

●練習ゼロでムカデ競争、それも運動不足の私たち…その予感は当った。よく「アキレス腱を切ると、バン!と大きな音がする」
と聞くけれど、私の耳にも鈍い大きな「バン!」という音がした。私は真後ろの人にかかとを強く蹴られたような感覚を持った
のだが、アキレス腱が切れる時は後ろから人に腱部を強く蹴られるような感じがするのだそう(実際に蹴られたという事実がな
くても、そういう感じがするそうだ)。
スタートラインからほんの少し進んだところで転んで、その後はどうなったか自分ではよ
くわからない。見ていた人たちが言うには、全員が前に倒れて私が下敷きだったようだ。
痛くて左足を地面につくことができない。爪先が地面に着いただけで「いて、いて、いて〜〜」とヨウムが聞いたらマネしたく
なるような声が出てしまう。

●どうなっているのか辛うじて後ろを振り返ってみたら、私はスタートラインの外にいたが、最後尾の人はスタートラインを越
えてもいなかったのだった! 


アキレス腱が切れた足首は…

●見ていた人たちに掘り出されて、すぐにコースの外に連れて行ってもらい冷湿布してもらう。音がしたかどうか聞かれたので
「厚手のゴムでできた水枕を膨らませて割ったような音がした」と言ったら、周りの人の顔がみるみる曇っていく。
痛くて地面に左足をつけることができないので、Sとアパートの住人の方の肩を借りて車に乗り込み、救急病院に行くことに
なった。

左足さえ地面につかなければ痛くないので、何だか本当に重傷なのか自信がなく、車に乗ってからも(アキレス腱を切ったの
なら、もっと痛くて悶絶するはずだ。こんなのはきっと捻挫のひどいのに違いない)と考えていた私。
でも左足を接地しないよう上げているのがしんどくて、手で左足を持っていようと思って、ちょっと左足のアキレス腱のところ
に手が触れた時、本当に驚いた。
本来なら腱があって、骨があるような硬い手触りのはずの足首後ろが、柔らかくてフニュフニュで、押すと凹んでしまったのだ
から(涙)


アキレス腱断裂の診断

●救急病院に着く頃、なぜか左脚のふくらはぎは大変痛くて、ふくらはぎも痛めたのかと思ったほどだ。でも、後で聞いてみる
と、腱が切れたのだから、腱が通っているふくらはぎが痛いのは当たり前とのこと。救急病院で診察してもらった結果、やはり
アキレス腱断裂との診断だった。診断方法は寝台にうつぶせに寝ている私のふくらはぎをお医者さんが手でぐっと握ってアキレ
ス腱があるはずの場所が腱で盛りがるかどうか見るというもの。別の病院を紹介してもらい、すぐに車でその病院に向かう。
日曜日だったので病院は閑散としていて、すぐに診察してもらうことができた。やはりアキレス腱断裂の診断。
そして院長先生に手術を勧められたので、その場で手術をお願いする。ただ、手術と言っても簡単な手術ですぐに家に帰れると
思っていたのは私の脳天気なところだった。 


手術

●「手術室の準備を」と看護婦さんに指示しているのを聞いて、「あうー(涙)」という気持ちになった。でも、お腹の手術
の時と比べてみると、それほど大変ではなさそうだったのが救いだった。手術着に着替えてストレッチャーに横になる。

●アキレス腱を切って1時間半も経たぬ13時に手術室に入る。ストレッチャーから横滑りに手術台に移り、うつぶせに寝る。
脚の付け根のところから下にグリーンの不織布のようなシートが敷かれる。まず運動会後だったので左足全体を手術台の上で
洗っていたようだ。タワシのような物でゴシゴシ洗っていた。それから消毒液を塗り、爪先から脚の付け根までニットでできた
タイツ状のものをはかせる。そしてふくらはぎから足首までに何か硬いカバーをかぶせ、手術する部位のニットをハサミで切って
いた。看護婦さんが胸2ケ所とお腹と右手の人指し指に心電図計の電極と、左腕には血圧計を繋いでくれた。寒いかどうか聞いて
くれたので、布団をかけてもらうことにした。手術中、いろいろ看護婦さんが声を掛けてくれて、おしゃべりしながらの手術に
なる。

●更に消毒してから局所麻酔。足首に直接何回も注射していた。注射する箇所を手できつくきつく握って注射しているのがわか
った。少しでも注射の痛みを感じさせないようにとのことだろう。私は局所麻酔する前に腕あたりに痛み止めを打つものとばか
り思っていたので、いきなりの局所麻酔には驚いて、すっかり心拍数が上がってしまった。

●麻酔を打った後は、手術する箇所を先生が揉んでいた。麻酔を素早く回すためだろう。そしてさらに注射。その時に「これ、
感じる?」と聞かれる。まったく痛くないと返事をすると、いよいよ手術が始まった。メスで切っているんだなぁと思うと何と
なく心臓がドキドキするので、楽しいことを考えることにした。ヨウムのことや映画のことや、その他いろいろ考えて、自分の
気持ちを手術に向かわないようにしようと思っていた。看護婦さんが運動会のことを聞いてきてくれたので、だいぶ運動会のこ
とをお喋りした。でも、ガーゼで血を拭いたり、何かを引っ張ってパチパチ切る音や感触がずっと続き、時々気持ちが手術に引
き戻されるのだった。途中、また麻酔の追加をして、お医者さんが「あとはもう縫うだけだよ」と言ってくれたので、とても気
持ちがラクになった。だが…その縫合が結構時間がかかるものなのだった。これも感触で(あ、縫ってる…;;;)とわかるの
で、一生懸命楽しいことを考えていた。

音楽を頭の中で思い浮かべようとすると、なぜか『パルプフィクション』や『未来世紀ブラジル』の曲ばかり頭に浮かび、
すると当然、
痛そうな場面もついでに蘇ってくるのだった。とても困った(笑)


●縫合が終わりクリップのような物を外し、いよいよギプスが装着されることになる。うつぶせのまま、左足の爪先を真直ぐ伸ばし
た姿になり、再度新しいニットのストッキングが脚の付け根まではかされる。その上から綿のような物を巻き、さらに包帯をぐるぐ
る膝の真下まで巻き上げていく。この包帯を巻かれると、脚がとても温かくて気持ちよかった。しばらく動かずに形が固定するのを
待ち、ストレッチャーに今度は仰向けになって移り、病室に向かうことになった。手術室に入ったのが13時。そして出てきたのが
14時30分。1時間半かかった。手術してくれた院長先生と看護婦さんたちにお礼を言い、エレベーターに乗せられて上の病棟の2人
部屋に。

手術した方の左足を高くしておくと、むくまずに痛くならないとのことで、左足の下に台とさらに膝裏を圧迫しないようにバ
スタオルを折ったものを置いてもらい、左足をそこに上げて横になる。まったく痛くも痒くもなく(痒さにはこの数日後から悩
まされたが)、夕食が待切れなくておにぎりを買ってきてもらって食べてしまったほどだ。夕食も最初から常食が出た。本当に
手術したんだろうか?と拍子抜けするくらい順調な入院初日だった。だが「少なくとも2〜3週間は入院が必要です」と言われ
たら、かなりガーンと来てしまった。ヨウムに会えないのがかなりのショックだった。
そして、心なしか仰向けに寝ていると腰が痛く、また夜中に麻酔が切れたからか、手術したところも少しだけズキズキする。
痛み止めのボルタレン座薬を出してもらう。でも、やっぱり初日はよく眠れず、ウトウトするのが精一杯だった。

ギプスは昔は石膏だったものが、現在の主流はプラスチック様のものに変わったそうだ。
それも、巻いた包帯自体がカチカチになっている。

手術した当日はこのギプスがものすごく重たく感じられたが、実際はそれほど重たくないのかも知れない。

手術1日目の夜、小さな点滴1本と大きな点滴1本を受ける。小さな方が抗生物質の点滴で、1日2回時間を決めて行われた。
大きな方はリンゲル液だったようで、3日間のみ。抗生物質の点滴は6日目の14日夜まで行われた。





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