富士山麓にヨウム啼く 番外編 アキレス腱断裂記16 再断裂後6〜7週間経過ギプス外れる(術後85日〜99日) 17 Dec.2001


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2001年12月 2〜7日(日〜金)85〜91日目  再断裂43〜48日目


家族が泊まりの出張_買い物/棚から物を下にさげておいてもらう

●この週は火曜日から金曜日までSが仕事で泊まりの出張だったので、私ひとりで過ごすことになった。
食べ物は毎日夕食の材料を配達してもらうので、食べるものがなくなることはない。
2人分の配達なので、食材を余らせてしまうのが勿体ないけれど、週末に残り材料でスープでも作ってしまえばいいと考えた。
コーヒーやその他の食料品などを日曜日にあらかじめ買い出しに出かけた。

●独りきりで火曜日から木曜日過ごすので、その間に何でも自分でできるようにセッティングを手伝ってもらった。
例えば、洗濯物を自分で干したり取り込んだりできる低い位置に洗濯物リング(と呼ぶのだろうか?)を置いてもらったり、
少しでも読みたいと思っていた本は、棚の高いところから低いところに移動してもらったり、
私の布団だけ自分で敷き易いように畳んで部屋に置いておいてもらったりと、細々としたことだが
自分でできない物の移動などをやっていってもらった。おかげで困ることもなかった。



2001年12月 8日(土)92日目  再断裂49日目 ギプスが外れる


ギプスが完全に外れる

●いよいよ待ちに待った日がやってくる。この日、ギプスを外してもらえることになっていたのだった。
腱の具合によってはギプスを縦半分に切った「半ギプス」を装着しておくことになるかも知れないとのことだったが、
いずれにしてもお風呂で足を洗えるようになるので、この日が待ち遠しくて仕方なかったのだった。
前日、ギプスの足が偶然空気清浄機の前に出たら、空気清浄機が「ゴ〜ッ」と唸りを上げて稼動したほど足は汚れていたのだった。
朝起きてギプスが濡れないようにビニールで厳封してシャワーを浴び、シャワーの後はできるだけギプスしている方の足の指など、
ギプスから見えている箇所をきれいに拭いて、濡れタオルを持参して病院に出かけた。

●受付を済まして待ち合い室で待っていると、すぐに中に呼ばれて血圧などを計ってもらう。
看護婦さんたちとはもうだいぶ顔見知りなので、「今日、いよいよね」と気のよさそうな看護婦さんたちが声を掛けてきてくれる。
もう嬉しくて顔は緩みっぱなしであったに違いない。

●そして処置室に呼ばれて看護婦さんにギプスカッターでギプスを切ってもらい、足もきれいに拭いてもらって
診察を受けることになった。
ギプスを外した足は毎回のことながら震えているような痺れているような感覚があり、最初はなかなか動かすことができない。
左足の足首周りもくるぶしも再び目立たないほどまだむくんだり腫れたりしているが、足の甲から指にかけてもむくんで
紫色に見えた。そこで先生が来るまで、左足全体を自分で手でさすっておくことにした。
まだ足首を動かすと少しふくらはぎが痛むようだった。

●先生が見えて、診察が始まる。足首がどのくらい自分で動かすことができるかチェックしている。
半ギプスは不要だろうとのことだった。晴れてまたギプスのない生活に戻ることができる。
しかし、次に転んだらこれまでの治療も無駄になってしまうので、まだ体重を左足にかけて松葉杖で歩いたりしないようにと
何度も注意される。
そしてリハビリにもすぐには入れないと言われてしまった。
リハビリテーションセンターには足を温めてマッサージをしてもらうために通ってほしいが、手術なしで繋がった腱は
まだ弱いので、2週間は歩行訓練しないそうだ。
転ばないように家では松葉杖はやめて這うことにしますと先生に約束すると、先生は「?…(笑)」という顔をしていた(笑)

●リハビリテーションセンターに行き、またリハビリの先生にもお世話になることを挨拶した。
この日はホットパックで20分ほど左足を温めてリハビリは終わり。
次回も同じように温めて、そしてマッサージもしてもらえるとのことだった。

●すぐに家に帰って足を洗おうと思っていたが、嬉しくて気分がよくなり、そのまま富士国際花園にフクロウを見にでかける。
もうギプスしていないので、フクロウは私を見ても大人しかった。ちょっと残念。
そして買い物をして映画を見にでかける。
朝病院に出かけた時のままの格好(Tシャツにジャージ!)でしかもギプスが外れたのに足も洗わず夜9時過ぎまで車椅子で
映画を見に出かけていたのだった。

帰宅して足を洗って仰天。
石鹸で1度洗った後、蒸しタオルを巻いてから指で擦ってみると、足裏からは延々と白い塊が、
足の甲から上は薄茶色の塊が出続けるのだった…。




2001年12月 12〜13日(水〜木)96〜97日目  再断裂53〜54日目 


転ばないようにさらに注意

●立続けに転ぶ。もう膝が痛くてあまり這いたくなくて、ついケンケンしてしまうのがよくないのだが、左膝は床に着かないうちに
血がポトポト出てくるようになってしまったので、どうしてもお尻歩きかケンケンしなくてはいけなくなってしまった。

●12日は右足をくじいてしまったので、13日は右足までもアキレス腱を切るとまずいと思い、ゆっくり床の上を這っていた。
ところが、体のコントロールがきかなくて、ホットカーペットのコントローラー部分に右手と右膝が乗って滑ってしまった。
左足は床に着いていなかったが、思わずふくらはぎに力が入ってしまい、後でふくらはぎの腱の通っているあたりがズキズキして
たまらなかった。鎮痛剤を飲んで早めに眠って、翌朝は痛みもなくなっていた。
翌日痛くなっていなければ安心できるので、ほっと胸を撫で下ろした次第だ。それにしても這っていても転ぶなんて…(涙)



2001年12月 14日(金)98日目  再断裂55日目 


見知らぬ町で階段を這い上がる

●1週間前のSの連泊の出張の代休がもらえるそうで、この日午後2時から休みをとってもらい、映画を見に浜松まで出かける。
浜松まではこれまで新幹線で行くことはあっても、車で出かけたことがなかったので、目的地にすぐにたどり着けるのか心配で、
朝から目的地の地図を調べて準備していた。
いざ出かけてみると、やっぱり浜松までは遠く、この日は風も強くて運転し難いようだった。
だが、サービスエリアに寄らずに行けそうだと非常にSは張り切っていたのだ。
私もサービスエリアに寄ってもらわなくても大丈夫だった…つもりだったのだが、高速道路を下りた途端にトイレに
行きたくなってしまったのだ。それで映画館に辿り着く前にトイレをどこかで借りることにした。
それで、公共の施設らしいところに寄ったのだが、入り口がすでにスロープがなくて、階段が10段ほどあるのだった。
でも背に腹は変えられず、階段を這い上がって中の洋式トイレを拝借した。手すりを掴まなくても階段を這い上がることが
できるようになっていてよかった(笑)

●その後、無事に映画館の建物まで辿り着けたが、元々あったはずのエレベーターの扉が塞がれて使えない状態になっていた。
しかも映画館は3階。他にエレベーターが移っていないかとSが先に映画館のフロントまで聞きに上がってくれたが、
やはりエレベーターは無いとのことだった。(うひゃー)と思いつつ涙目になりながら、せっかく浜松まで来たのだし、
さっきはいっぱい子供とお迎えにきたお母さんたちに見られながらでもトイレを借りるために階段を這ったじゃないかと、
自分を励ましつつ3階まで這い上がって行った。床はすべてカーペットが敷いてあったので、それほど苦痛では
なかったものの、やはり自宅アパート以外でこんなに這うのは初めてだったので、面喰らってしまった。
だが、フロントに辿り着くと映画館の方たちが私たちに対しても他のお客さんに対してもとても気さくで親切で、
シネコンの親切さとは全く別のよさがあったのだった。
3階まで這うのは大きなマイナスだが、でもそれを差し引いてもとても感じがよく、小さな映画館の家族的なところが
好きな私はとても感激してしまった。

●映画の余韻と映画館の人の人柄のよさにすっかり気持ちをよくして帰路につく。
途中浜松市内でファミレスに寄った時と帰りの車中で話していたことだが、自分が車椅子をたまたま使うことになって
とても身に染みて感じたことがいろいろあるよ_という話をしていたのだった。


ナイフで木を尖らせないために

●私たちはよく冗談で、車窓から通りにあるファミレスの建物にスロープがついているところは「合格」、
スロープどころか階段を上がって2階がファミレスというところは「私と敵対」などと笑って言っているのだが、
実際は面と向かってお店に文句を言ったり、どこかに投書したりするわけでもない。
それどころか、車椅子は自転車と同じ…くらいの気持ちで、歩行者優先を心掛けている。
けれど自分なりに道路や店のつくりにとても神経が行くようになってきた。

●きっと多くの建物の設計をている人たちは足腰が弱い人や車椅子の人も外食するという視点が欠けているのだと思う。
トイレに手すりがついていても車椅子を転回させずらい位置に手すりがあったり、急スロープを下りないと
トイレにたどり着けない(トイレから出られない)作りの建物や、トイレが荷物で塞がれているところもあった。
でも決して悪意があるわけではなく、車椅子で生活してみたり足腰を悪くして寝ついてしまったという経験がないがゆえ、
トイレの使い勝手など想像もできないのだと思う。手すりが付いているだけでも有り難いことだ。
もっとも、手すりは私は割とどこについていても大丈夫だけれど、人によってはこの位置になければダメだ、
ここにあると使いにくい…という違いがあるので、すべての人に都合のいい位置に手すりがくるとは限らないのだが。

●私はいずれは車椅子のお世話にならなくなる日がくる。だからここを読む自分の家族にも他の人たちにも
あまり遠慮や気兼ねもなく車椅子体験者としてあれこれここで書けるのだろう。
もしもこの生活がずっと続き、特に近親者に介護を長期間してもらわなくてはならないのなら、
やはり遠慮や諦めという気持ちが先に立ち、自分の意見を述べて他の人たちに気まずい思いさせたり
自分も嫌な気分にならないように、我慢してしまおうと考えることだろう。
出かけるたびに介護の人が大変な思いをしたり、私のために貴重な時間を削らせていると思うと身が縮まる思いだ。
介護してくれる人が疲れ切ってしまって精神的に追い詰められてしまったら本当に気の毒だから、
無理してどこかに連れていってもらうのも、何かやってもらうのも、どうしたものかと考えてしまうだろう。
私も高校生の頃、家事全般をやらざるを得ない家庭事情だったので、家族が自分のことを家事をやる便利な存在
としか考えていないと感じると、それだけで精神的に追い詰められてよく家事を放棄したりしたものだった。
実際は家族はそんな風には考えてもいなかったのだろうが、ささいな一言や態度・表情に気持ちは荒んでしまう。
家族と感情的な和解状態になれたのはかなり後のことだ。介護する側が嬉しいのは、介護している相手と気持ちが通じること
だけでなく、他の家族のメンバーにも協力的な態度と感謝の気持ちが見えることだ。
私のストライキは、自分も病気の母親も家族の他の人間も大いに苦しめたのだが、やはりそれだけ介護や家事に追われる側は
いっぱいいっぱいになってしまうということを身を持って体験している。
映画的には「ナイフで木の棒を始終尖らせている少年」がよく出てくるが、まさにそんな心境になってしまうのだった。

●でもこの数年、病気や怪我などが続いて、次は介護される側/20年前の母の気持ちがよく解るようになってきた。
仕事を病気で休まなくてはならなくなる側、介護される側になってみて、
本当に“切ない”という気持ちはこういうものなんだと思うようになってきた。
介護される側の体験は人に迷惑をかけているのではないかと思えて辛いことも多いけれど、
自分にとってはとても貴重な体験のような気がする。介護も大変だが、介護される側も心が落ち着かないものだとわかった。
介護してくれる側も介護してもらう側も、ストレスを溜めないためにも、思いやりと感謝の念を持ちつつ
適度に思ったことを楽しみながら言い合うのが一番だと、当たり前のことをしみじみ感じた。
私たちの場合は、肴になるのはドライブ中に目に入るファミレスの建物の構造になることが多いのだが。



2001年12月 15日(土)99日目  再断裂56日目 

膝を休めよう

●膝を下に向けるだけで膝の皮膚から血がポトポト落ちる。しばらくは膝を休めるためにもお尻歩きするしかない。> ますます動きが遅くなってしまった。