富士山麓にヨウム啼く番外編 アキレス腱断裂記18 再断裂後10〜11週間経過 松葉杖1本になる(術後114〜120日) 11Jan.2002


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2001年12月30日〜2002年1月3日(日〜木) 114〜118日目  再断裂71〜75日目 年末年始

大掃除から始まる怒濤の年末年始


●12月30日から1月3日までは病院が休みなので、大掃除したり互いの実家に行ったり年始回りをすることに充てた。
12月29日が燃えるゴミ収集の最終日だった。けれど28日がSの職場の御用納めだっり、
年賀状がなかなかできなかったりしたので、我が家の大掃除はゴミ収集日の翌日から始まった。
29日のリハビリ後にDIYのお店に寄ってステンレス磨き用クレンザーや家庭用洗剤を買込み、
早朝からSは張り切って台所の大掃除をしてくれた。
私は低い所担当で、アルミサッシのレール掃除から始めた。
2人で早朝から夕方までかかって何とか風呂やトイレの他に居間と台所、そして寝室はサッシのレールがきれいになった。

●1日で大掃除が終わるかも知れないとやる気満々だった私たちのやる気をそいだのは、寝室のタンスが
置いてある辺りが緑色になっていたことだった。
この日初めて気がついたのだった。しかももう夕方と言うには遅く、ほとんど夜になっていたのだった。
怪我して以来、結露は気になっていたものの、換気と除湿機で何とか大丈夫だろうとたかをくくっていた
ツケがやってきた。毎年寒い時期はここ富士山麓は結露がひどく、朝晩サッシや窓ガラスについた結露を
乾いた雑巾で拭き取るということをしていたのだった。
怪我を理由に面倒なことを避けていた代償はあまりにも大きく、疲労と落ち込みで、この日はもう
畳まで手を出すこともできなくなってしまった。畳にカビを生やしてしまうなんて、本当にショックだった。
ギプスをしていた間は、ギプスの足で家中を這い回ったので、床や敷居や畳を傷めてもいたのだった。
この数カ月で家をだいぶ傷めてしまい、私は小さくなるしかなかった。

●インターネットでいろいろ調べてカビの取り方が2つあることを知る。
1つはとにかく畳を外に出して干し、カビを乾かしてから叩き出すというもの。
もう1つは塩素系漂白剤を水で薄めて雑巾に含ませて、それでカビを拭き取り、その後消毒用アルコールを
吹き掛けて乾燥を心掛けるというもの。
私たちにできそうなのは2つめの漂白剤+アルコール作戦しかなさそうだったので、
30日は取り敢えずよく睡眠をとって、翌朝から作戦実行することにした。

●何とか大晦日の午前中に畳をきれいにし終えた。大晦日はいつもSの実家で年越し蕎麦を食べて
新年を迎えることになっているので、出かける支度をする。
簡単な料理を一品作り、ケーキなども持参して出かける。恒例のSの蕎麦打ちが始まり、
みんなで食卓を囲んで蕎麦を食べた。
毎年このちょっとしたパーティーの片付けが大変で、洗い物と食器の片付けに苦労するのだが、
今回は私が動けない代わりに、家事ができるようになったSが台所に立って洗い物をしてくれた。
家事をテキパキする息子の姿に義母が驚き喜んでいた。
4ヶ月近くも文句も言わずに家事をしてくれているSに私も感謝している。

●翌朝、元旦もSの実家でお節料理とお雑煮をご馳走になりに行く。そして新年の挨拶回りに出かける。
夜は私の実家に遊びに行く。私の実家は門扉を入るとすぐに坂と階段なので、門を通っていきなり這って
玄関に入っていったのだった。

●2日は慌ただしい中にも少しゆっくりできる時間が持てた日だった。
そして3日は帰省中のSの姉と3人で温泉に出かける。
私はもちろん温泉に入ることができないので、荷物番をしていた。
風呂場の入り口に段差がなくて滑り止めのような加工がしてあるような造りの温泉があったらいいのに…。
私たちが行った施設は車椅子用スロープやトイレがあるのだが、やはり温泉は今の私には無理な造りだった。
治ったら絶対にまた来るぞと思うのだった。


2002年1月4日(金)119日目  再断裂76日目 リハビリ7回目


年明けのリハビリ

●いつのも先生が金曜日と土曜日の2日続けてお休みだそうで、別の先生にマッサージしてもらうことになった。
とても元気がよくて感じのいい若い女性の先生なのだった。まずホットパックをしてもらうまで少し待ち時間があったので、
平行棒で自主トレをする。そこに勝手に私たちが私のライバルとした松さんがやってきた。
歩行器でスイスイ歩けるようになっていて、完全に水を開けられてしまった。
リハビリや訓練の成果が目に見えてわかるので、リハビリに来るのは楽しいものだ。

●ホットパックが終わり、いよいよマッサージ開始。
今日の先生はとても丁寧にすみずみまでマッサージしてくれる先生なのだが…痛い。
涙がでるくらい強くすみずみまでマッサージしてくれるのだった(笑)
「痛かったら遠慮しないで言ってくださいね」と明るく声を掛けてくれるので、
「い、い、い、痛いでーす(涙目)」と訴える。

●でも「痛い」と言うと、「痛いですよね〜」と明るく返事が返ってきて、
心なしか痛いところを確認後に更にそこを強くグイグイ揉んでくれるようなのだった。
左の足首が内側に少し曲がっているそうで、それを矯正するために左足のふくらはぎの内側を強く強く揉みほぐしていたらしい。
そして右足の方も筋肉が張っているそうで、丁寧に、しかも思いきり強くマッサージしてくれた。
ふくらはぎの内側の方が外側を揉まれる2倍は痛かった。

●「あいたたた…(涙目)」と何度ものたうつのだが、なぜか痛がりながら自分で笑ってしまうのだった。
優しそうな先生にいきなりこんなに痛い目にあわされるとは想像していなかったので、フイをつかれたという感じなのだった(笑)
ふと顔を上にあげたら、患者さんや他の先生たちが笑いながら私の方を見ていた。それも楽しそうに(笑)
たっぷり30分以上もマッサージしてもらった。
ベッドから下りたら、両足が羽が生えたように軽いのだった。
もちろんアキレス腱もどこも痛くないのだ!
よく、リハビリは痛くて辛いという話を聞く。私も痛くて辛いと思うことがある。
この日はおそろしく痛い思いをしたけれど、その効果のすごさに感動して家に帰ったのだった。


2002年1月5日(土)120日目  再断裂77日目 リハビリ8回目


怪我をして本当に辛いこと

●ホットパックの順番待ちをしている間に、私たちの隣に60代後半の女の人がやってきて座っていた。
私とSが足首がこのくらい曲るようになった…などと雑談していたら、その人が私に話し掛けてきたのだった。
自転車で転んで肩と腕を怪我したそうだ。
これが初めてのリハビリだそうで、誰に聞いてもどれくらいリハビリに通えばいいか答えてくれないとのことだった。
私もそれは覚えがあった。
看護婦さんもお医者さんもリハビリの先生たちも「どれくらい」かは教えてくれないものなのだった。
そう私が言うと、「ああ、やっぱりねぇ」と納得したようだ。
しかし、その後聞いた話は決して他人事でないことで気の毒だと思える話だった。
家族が自分の怪我の痛みをわかってもらえず、不自由で痛い思いをしながら家事をしていても手伝ってもらえず、
かえって家事の手抜きをするなと言われているというのだ。
話している間中、目に涙が溜まっていて、本当に気の毒だった。
怪我自体の辛さを理解してくれないのもさることながら、怪我したことによって家事もままならない
不自由な生活が何ヶ月も続くし、家族が自分のことをどう考えていたのか解ってしまって本当に悲しい…と言っていた。
「痛いけれど、リハビリに2〜3回通ってみると、目に見えてよくなりますよ」と言って慰めてあげるしかなかった。
私など、仕事も辞めているし、家事もだいぶ手伝ってもらっているので恵まれている。
でも仕事を持っている時にアキレス腱断裂をしていたら、きっと針のむしろと感じて苦しんでいたことだろう。


やはり痛いところを揉みほぐすのだった

●リハビリも8回目。前日に治療してくれた若い女性の先生がやってきた。
「揉み返しは来ませんでしたか?」と聞かれたので、うっかり正直に「来ました」と答えてしまった。その結果はご想像通り(笑)
何でも、揉み足りないと揉み返しになってしまうらしい。
歩くとかかとが痛いと言ったら、足首からかかとまで、念入りにマッサージしてくれた。それも痛いの何の…(涙)
両足とも、ふくらはぎから下を30分以上もかけて丁寧に揉みほぐしてもらって、帰りはやはり足に羽が生えたように
軽くなったのだった。
それに、先週は1度もできなかったスクワットが足首は硬いものの、楽にできるようになっていたのだった。
この日は、朝は車椅子でリハビリセンターに向かったが、帰りは松葉杖をついて車まで戻った。

●昼食をとって家に戻り、その後映画を見に出かけた。外出を2回したことになる。
その都度手には使い捨てのビニールの手袋をし、左足の膝上までビニールでくるんで階段を這ってのぼりおりした。
外階段で這うことに抵抗なくなってとても楽になった。
でも、人に見られているとなかなか這い始めるのには勇気が要るのだが…。