富士山麓にヨウム啼く

      


 


 

高校国語科情報発信頁

 


 




この頁は、高等学校国語科教師による、高等学校国語科教育のための頁です。授業実践例、授業用資料、試験問題、各種プリント類、また国語科主催行事などの実践例などを掲載いたします(当ページ制作時は公立の商業高校に勤務していましたが、現在私、SHは転勤し、違う職場に勤務しています)。

There has been accesses since 19 July 1998. Thank you.

1 国語科授業用資料

い 森鴎外「舞姫」口語訳データ(Y商国語科訳)

ろ 百人一首 原文データ

は 富士山小考

   に 金石文解釈(諏訪神社記念碑、鵜無ケ渕神明宮記念碑)

   ほ 国語科学習法

2 国語科授業実践例

い  ディベート実践例と討論用シート

ろ  オンライン句会授業実践例

は  リサーチ&プレゼンテーション実践例

に  小論文補習例(私のアンソロジー)

ほ  小論文指導例(練習用プリント)

3 国語科主催行事実践例

い  文学散歩実践例(希望者20名対象)

  1 静岡県富士市内文学散歩(平8)

  2 静岡県沼津市内近代文学散歩(平9)

  3 伊豆天城近代文学散歩(平10)

ろ  朝読書実践例(3クラス120名対象)

は  漢字テスト実践例(全校900名対象)

に  百人一首大会実践例(学年300名対象)

ほ  卒業式送辞(平7、8)、答辞(平9)















舞姫  森鴎外作  Y商業国語科 SH訳

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 石炭はもう積み終えてしまった。二等室のテーブルのある辺りはたいへん静かで、白熱電灯の光の晴れがましいのも無駄なことに思われる。今宵は夜毎ここに集ってくるカードゲーム仲間も、みな陸のホテルに泊って、船に残っているのは私一人であるからである。

 五年前の事になるが、年来の希望が適って、役所から洋行の命を受け、このサイゴンの港まで来た頃は、目に見るもの、耳に聞くもの、一つとして新しくないものはなく、筆に任せて書き記した紀行文は、毎日毎日、幾千言を連ねたことであろう。当時の新聞に載せられ、世の人にもてはやされはしたが、今日になって思えば、幼き思想、身の程知らずの放言、そうでないにしても尋常の目に触れるものすべて、さては風俗などをさえ珍しげに記したのを、心ある人はどのように思っていたことであろうか。こんどの場合は旅の出発に際して日記を記そうと購入した冊子も、今だに白紙のままであるということは、ドイツ留学中に一種の「ニル、アドミラリイ」の気象、何事にもさして心を動かすことのない気象を養い得たためであろうか。いいや、そういうことではない。これには別の理由がある。

 言うまでもないことであるが、いま東に帰ろうとしている現在の私は、かつての、西に航海していた昔の私ではない。学問の方こそなお飽き足らぬところは多いが、浮世がいかに辛いものであるかということなどは知ってしまっている。人の心の頼みがたいことなどは言わずもがな、われとわが心さえ変り易いものであるということも知っている。昨日是としたものを今日は非とするその時時で変る自分の感触を、筆に写して誰に見せることができるであろうか。これを日記の書けぬ理由とするか。いいや違う。これに別の理由がある。

 ああ、伊太利のブリンジイシイ港を出てから、早くも二十日あまり経っている。普通なら初対面の船客とも交際して、族の退屈を慰め合うのが航海の習わしであるが、わずかの体の不調にことよせて船室内だけに籠もり、連れの人々にも物言うことの少いのは、人知れぬ憂え事に頭を悩ましているためである。この憂いは初めはひと刷けの雲のように私の心を掠めて、瑞西の山の景色も見せず、伊太利の古蹟にも心を留めさせなかった。中頃になると、ために世を厭い、身をはかなんで、腸が毎日九廻転するような激しい痛みを背負わされた。それが今は心の奥に凝り固まって、一点の翳だけになってしまいはしたが、文字を読んでも、物を見ても、さながら鏡に映る影、声に応ずる響きのように、限りない懐旧の情を呼び起して、幾度となく私の心を苦しめている。ああ、どうしてこの憂いを消したらいいのであろう。もし外からの憂いであつたなら、詩に唱ったり、歌に詠んだりすることに依って、そのあとは気分もすがすがしくなることであろう。だが、この憂いは余りにも深く私の心の内部に彫りつけられてあるので、そういうわけにはゆかないと思うが、今宵はさいわい周囲に人も居らず、室付きボーイがスイッチをひねって電灯を消すのにもまだ間があると思われるので、では、これから、その憂え事のあらましを文章に綴ってみることにしよう。

 ■

 私は幼い頃から厳しい家庭教育を受けていたので、そのお蔭で、父を早く喪いはしたが、そのために勉学が荒んだり衰えたりするようなこともなく、旧藩の学校にあった日も、東京に出て大学予備門に通っていた頃も、それからまた大学法学部に進むようになってからも、太田豊太郎という名は、いつも一級の最初のところに記されていた。一人子の私を力にして世を渡る母の心は、さぞや慰められていたことであろうと思う。十九歳で学士の称号を受けて、大学開校以来例のない名誉であると人にも言われ、某省に仕える身となってからは、故郷の母を都に呼び迎えて、三年ほど楽しい毎日を送った。役所の長官の覚えも特に目出たかったので、洋行して一課の事務を取り調べるようにという命令を受けるに到り、自分が出世するのも、家を興すのもこの時にありと思う心が勇み立って、五十歳をこえた母と別れるのもさほど悲しいとも思わず、遠く家を離れて、はるばる伯林の都にやって来たのである。

 私は漠然たる功名の念と、自分を拘束することに慣れた勉学への意欲を持って、何はさておき、このヨーロッパの新しい大都の中心部に立った。わが眼を射ようとするのは、いかなるものの光彩であろうか。わが心を迷わそうとするのは、いかなるものの色彩であろうか。ここはまっすぐに伸び走っているウンテル・デン・リンデンの大通り、菩提樹下と訳すと幽静な場所と思われそうであるが、両側の石だたみの道を三々五々、連れ立って歩いている士官や娘たちを見よ。まだウィルヘルム一世の宮段が街に臨み、皇帝がよく通りに面した窓にお立ちになった時代であったので、胸を張り、肩をそぴやかせて行く士官たちは、さまざまな色で飾り立てた礼服を着ており、美しい少女たちは少女たちで、巴里風の装いをこらしている。あれもこれも眼を驚ろかさぬものはないのに、車道は車道で、アスファルトの上をさまぎまな馬車が、車輪の音も立てないで走っている。雲に聳えるように並び立っている楼閣、その少しとぎれた所には噴水が見えており、そこからは晴れた空に夕立の音を聞かせでもするように、たくさんの水がたぎり落ちている。遠く眼をやると、ブランデルブルク門を隔てて、その向うに緑の技をさし交している中から、凱旋門が聳え立ち、その頂きの金色の神女の像が中空に浮かぴ出ている。このように沢山の見ものが眼のあたりに集っているので、初めてこの都に釆た者が、あちらを訪ね、こちらを訪ね、応接に暇ないのは無理からぬことである。しかし私の場合は、たとえいかなる所へやって来ようと、さして意味のない美観に心を動かしてはならぬという誓を胸中に持っているので、いつも自分を襲い来る外界からの刺激を、遮り留めることができた。

 私がベルを鳴らして面会を申し込み、公の紹介状を出して、日本からはるばるやって来た挨拶をすると、この国の役人たちはみな快く私を迎え、公使館からの手続きが事なくすみさえすれば、何事であれ、教えもし伝えもしようと約束してくれた。こうした場合、嬉れしかったことは私が日本でドイツ、フランスの言葉を学んだことであった。彼等は初めて私に会った蒔、どこでいつの間にこのように学ぶことができたのかと、訊ねぬことはなかった。

 日本に居る時、前もって公式の許可をとっていたことでもあるので、役所仕事に暇ができると、ベルリン大学に入って政治学を修めようと、名を聴講者名簿に記した。

 ひと月ふた月と過しているうちに、公の打合せもすみ、調べ事も次第に捗って行ったので、急ぐことは報告書に作って日本に送り、急がぬものは筆写して手許に置いたが、それが次第に何巻かの量になって行った。大学の方は、幼い頭で思索したような政治家になるべき特科などというもののあろう筈はなく、これかあれかと心迷いながらも、二三の法律学者の講義に出てみようと心に決めて、月謝を収め、そして登校して講義を聴いた。

 このようにして三年程は夢のように過ぎてしまったが、時が来れば包んでも包んでも、包みきることのできないのは人間の持って生れた好尚というものである。私は父の遺言を守り、母の教に従い、人から神童などと褒められるのが嬉れしくて怠らず勉強した時期から、役所の長官に善い働き手を得たと励まされるのが喜ばしくて怠りなく勤めた時期に到るまで、三月して自分が消極的、器械的な人物になっていることに気付いていなかった。今や私も二十五歳、既に久しくこの大学の自由な気風の中に身を置いたためであろうか、心中なんとなくおだやかならず、自分の中に奥深く潜みかくれていた真の自分が漸く表面に現われて来て、昨日までの自分でない自分を青めるような具合になった。私は自分が今の世に雄飛すべき政治家になるのにも適当でなく、またよく法律書をそらんじて裁判の判決を下す法律家たるのにもふさわしくないことを、漸く悟り知ったと思った。

 心中ひそかに思ったことであるが、わが母は私を活きた辞書となそうとし、わが役所の長官は私を活きた法律となそうとしたのである。辞書になるのはまだ耐えられぬこともないが、法律になるというに到っては我慢することはできない。これまで取るに足らぬ小さい問題についても、極めて丁寧に日本の役所に返事をして来た私であったが、この頃から役所の長官に送る書面には、しきりに法制の細目に拘泥すべきでないことを論じ、ひとたび法の精神をさえ得た上は、取るに足らぬ些細なことなどは何事も、竹でも割る如く片付けるべきであるなどと広言したものである。また大学では法科の講義をよそにして、歴史文学に心を寄せ、漸く心を満足させる境地に入ることができた。

 役所の長官はもともと心のままに用うることのできる器械をこそ作ろうとしたのである。独立した思想を抱いて、平凡ならぬ顔つきをした男などをどうして喜ぷであろうか。私が当時占めていた地位は、今考えると危いものであった。しかし、これだけのことでは、私の地位をくつがえすことはできないが、日頃ベルリンの留学生の中で、ある勢力を持った一群と私との間には、面白からぬ関係があって、彼等は私を猜疑し、その果てに私のことを諌言しておとしめるに到ったのである。しかし、こうしたこともまた、理由なくしてはあり得ぬことである。

 彼等は私が一緒に麦酒の杯をあげず、珠突きの棒をも手にしないのを、かたくなな心と、欲望を制する力のためであるとして、ある時は嘲り、ある時は嫉んだりしたのであろう。しかし、これは私という人間を知らなかったからである。ああ、そうは言っても、自分という人間を私自身さえ知らなかったのに、どうして人に知って貫えるであろうか。私の心は合歓という木の葉に似て、物が触れると、縮んで避けようとする。私の心は臆病で処女に似ている。私が幼い頃から目上の者の教を守って、学問の道に入るようになったのも、官吏の道を歩むようになったのも、みな勇気あって為したことではない。耐え忍んで勉学した力によって、すべては為されたように見えていたが、そうではなくて、みな自分をあぎむき、人をさえあざむいたのであって、人のたどらせる道を、ただひとすじにたどっただけのことである。ほかのことに心が乱れなかったのは、はかのことを棄てて顧みぬほどの勇気があったためではない。ただほかのものを恐れて、自分で自分の手足を縛っただけのことである。故郷を出立する前にも、自分が有為の人物であることを疑わず、また自分の心がよく耐えるであろうことを深く信じていたのであった。が、そのような自分はひと時のことであった。船が横浜を離れるまでは、天晴れ豪傑と思っていた身も、いったん船が港を離れると、とめることのできぬ涙に手巾を濡らしている自分を、自分ながらおかしなことだと思ったが、これこそ自分の本性以外の何物でもなかったのである。こうした心は生まれながらのものであろう。また早く父を喪って母の手に育てられたことによって生じたものでもあろう。

 彼等が嘲るのも尤もなことである。それにしても嫉むということはおろかなことではないか、この弱くふぴんな私という人間の心を。

 赤く白く顔を化粧して、刺激的な色の衣服を身に経い、コーヒー店に腰を降ろして客をひく女を見ては、行ってそれに応ずる勇気はなく、高い帽子を頭にのせ、眼鏡に鼻を挟ませて、この国では貴族めいて聞える鼻音でものを言う道楽者を見ては、そこへ行ってこれと遊ぽうという勇気もない。この種の勇気の持合せがなければ、あの活発な同郷の連中と交際の仕様はない。この交際のうといことのために、あの連中はただ私を嘲り、私を嫉むだけでなく、その上に私を猜疑することとなったのである。これこそが私が冤罪を身に負って、暫くの間ではあるが計り知れぬはど大きな艱難を経験し尽すなかだちになったのである。

 ■

 或る日の夕暮のことであったが、私はティヤーガルテンを散歩して、ウンテル・デン・リンデンの大通りを過ぎ、わがモンビシュウ街の借り住まいに帰ろうと、クロステル地区の古い寺院の前まで釆た。私は繁華術の燈火の海を渡って来て、この狭く薄暗い巷に入り、二階、三階の木の手摺に干してある敷布や襦袢など、まだ取入れてない家、頬ひげ長いユダヤ教徒の老人が戸口に佇んでいる居酒屋、一つの梯子はすぐ二階に達し、他の梯子は地下住まいの鍛冶屋の家に通じている貸家、こうした家々に対かい合って、凹字の形に引込んで建てられてあるこの三百年前の遺跡を見る度に、心恍惚となって暫く佇んだこと何回であるか知らない。

 今この所を通り過ぎようとする時、鎖した寺門の扉にもたれて、声を呑んで泣く一人の少女が居るのを見た。年は十六、七であろう。被ったマフラーからこぼれている髪の色は薄いこがね色で、着ている衣服は垢がついて汚れているようには見えない。私の足音に驚いてこちらを振り返った面は、私に詩人の才能がないので、残念ながらこれを写すことはできない。この青く清らかで、もの問いたげに愁いを含んでいる目の、半ば涙を宿している長いまつげに掩われているところなど、どうしてひと眼見ただけで、用心深い私の心の底にまで焼きついてしまったのであるか。

 相手はおしはかれぬほどの深い嘆きに遭って、あとさき顧みるひまもなく、ここに立って泣いているのであろうか。私の臆病な心は憐憫の情に打ち負かされて、私は思わず傍に寄って、「なぜ泣いておられるか。この土地に係累のない外国人の私は、かえって力を貸して上げやすいこともあろう」と言いかけたが、われながら自分の大胆さに呆れている気持だった。

 相手は驚いて私の黄色の頼を見守っていたが、私の真実な気持が顔に現われていたのであろう、「あなたは善い人のようにお見受けする。あの人のように酷くはない。また私の母のように」、暫く涸れていた涙の泉はまた溢れて、愛らしい頬を流れ落ちた。「私を救って下さい、あなた。私が私知らずの人間になるのを、救って下さい。母は私が彼の言葉に従わないからと言って、私を打ちました。父は亡くなりました。明日は葬らなければなりませんが、家には一銭の貯えさえありません」

 あとはすすり泣きの声だけ。私の眼はこのうつむいている少女の微かにゆれている襟くびにだけ注がれていた。「あなたの家に送って行って上げよう。だからまず気持を落着けなさい。泣声を人に聞かせないように、ここは往来なんだから」。私が話しているうちに、相手は知らず知らず私の肩に寄り添ってきていたが、この時ふと頭をもたげ、初めて私を見たかのように、羞らって私の側を飛びのいた。

 人に見られるのが厭で足早やに歩いて行く少女のあとについて、寺の筋向かいに当っている家の表戸を入ると欠け損じている石の梯子があった。これを上がって行くと、四階目に腰を折って潜るくらいの戸があった。少女はさびた針金の先きを稔じ曲げてあるのに手をかけて強く引いた。すると内部から「誰か」と訊く咳桔れた老婆の声がした。エリスが帰ったの、と少女が答えるか答えないうちに、戸を荒々しく引開けたのは、半ば白くなっている髪、悪い相ではないが、貧苦の痕を額に印している老婆で、古い毛皮の衣服を着、汚れた上靴をはいている。エリスが私に会釈して入るのを待ちかねたようにして、老婆は戸をはげしく閉めたてた。

 私は暫く茫然として立っていたが、ふと油煙の光にすかして戸を見ると、エルンスト・ワイゲルトと港で書いてあって、下に仕立物師と添え書きしてある。これが亡くなったという少女の父の名なのであろう。内では言い争うような声が聞えていたが、また静かになって戸は再び開いた。さっきの老婆は慇懃に自分が無礼な振る舞いをしたことを詫びて、私を家の中に迎え入れた。戸の内側は台所で、右手の低い窓には真白に洗った麻布がかけてある。左手には粗末に積上げた煉瓦の竈がある。正面のひと部屋の戸は半ば開いていて、なかに白布をかぷせてある寝台が見えている。伏しているのは亡くなった人なのであろう。老婆は竈の側の戸を開けて、私を内部に招じ入れた。ここは二重勾配のいわゆる「マンサルド」式屋根の屋根裏部室の町に面した一間なので天井はない。隅の屋根裏から窓に向って斜めに下がっている梁を紙で張つてあって、その下の立てば頭のつかえるところに寝台が置かれてある。部屋の中央の机には美しい毛耗を掛けて、その上には書物一二冊と写真帖とをならべ、陶瓶にはここに似合わしくない高価な花が生けてある。その傍に少女は羞らいを帯びて立っていた。

 彼女は優れて美しい。乳のような色白の顔は燈火に照らされて、微かに紅味を呈している。手足の弱々しくたおやかなところは、貧家の娘とは見えない。老婆が部屋を出て行ったあと、少女は少し訛りのある言葉で言った。「あなたをこんな所までお連れした心なさを、許して下さい。あなたは善良な方であるに違いない。よもや私をお憎みにはならぬでしょう。明日に迫る父の葬式、頼みに思ったシャウムベルヒ、あなたは彼を御存じないでしょうが、彼は「ヰクトリア」座の座頭であります。彼の抱えとなってからもう二年にもなるので、事なく私たちを助けてくれるものと思いましたが、人の弱味につけこんで、身勝手な言いがかりをつけようとは。私を救って下さい、あなた。お金は僅かな給金をさいてお返しいたします。たとえ食べるものを食べなくても。お金を貸して傾けないなら、母の言葉に従うより他ありません」少女は涙ぐんで身をふるわせた。そのこちらを見上げている眼には、人に否と言わせぬ媚態がある。この眼の働きは意識してのことか、あるいは自分は知らないことか。

 私のポケットには二三マルクの銀貨はあるが、それで足りよう筈はないので、私は時計をはずして机の上に置いた。「これを質屋に持って行って、一時の急をおしのぎなさい。質屋の使がモンビシュウ街三番地に太田と訪ねて来た時には、その代金を払って上げるから」

 少女は驚き感動した様子を見せて、私が辞去するために出した手に唇を当てたが、はらはらと落ちる涙を私の手の甲にそそいだ。

 ああ、いかなる悪い因縁であろうか。この恩を謝そうと、自分から私の借り住まいを訪ねて一きた少女は、ショオペンハウエルの書物を右にし、シルレルの書物を左にして、終日端然として坐っている私の書斎の窓下に、一輪の美しい花を咲かせた。この時を初めとして、私と少女の交際は漸く繁くなって行って、同郷人にも知られてしまったが、彼等は早合点して、私という人間を色を舞姫の群れに漁っている男としてしまった。私たち二人の間にはまだ幼く他愛ない、愚かとしか言えないような歓楽だけがあったのであるが。

 その人を名指すのは憚りがあるが、同郷人の中に事を好む人があって、私がしばしば芝居小屋に出入りして女優と関係しているということを、役所の長官のもとに報せた。それでなくてさえ私が学問の横道に走っているのを知って憎々しく思っていた長官は、ついに事の理由を公使館に伝えて、私の官を免じ、私の職を解いた。公使がこの命を私に伝える時、彼が言ったことは、もしすぐ帰国するなら族費を支給するが、なおもここに留まっているというのであれば、公のたすけを仰ぐことはできないということであった。私は一週間の猶予を請うて、とやこう思い悩んでいる時、私の生涯で最も悲しく思った二通の書状に接した。この二通は殆ど同時に出したものであるが、一つは母の自筆、一つは親族の一人が母の死を、私がまたなく慕う母の死を報せてきた手紙であった。私は母の手紙の中の言葉をここで反覆することはできない.涙が溢れてきて、筆の運びをさまたげるからである。

 私とエリスとの交際は、この時までよそ目に見るより清純であった。彼女は父が貧しかったために充分な教育は受けていず、十五の時に舞踊の師の募集に応じて、このとかく変な眼で見られがちな舞踊というものを教えられ、その講習が終ったあと、「ヰクトリア」座に出演するようになり、今は一座で第二の地位を占めるようになった。しかし詩人ハックレンデルが当世の奴隷と言ったように、はかないのは舞姫の身の上である。僅かな給金で繋がれ、昼のおさらい、夜の舞台ときびしく使われ、芝居の化粧部屋に入ってこそ紅白粉で粧い、美しい衣服をもまとうが、外に出ればひとり身の衣食も足らずがちであるから、親きょうだいを養なわなければならぬ者は、その辛苦はどのようなものであろうか。だから彼等の仲間で賤しい限りの仕事に堕ちない者は稀であると言われている。エリスがこうならなかったのはおとなしい性質と、剛気な父の保護によってである。彼女はさすがに幼い時から書物を読むのは好きであったが、手に入るのは卑しい「コルポルタァジュ」と呼ぶ貸本屋の小説だけであったが、私と知り合う頃から、私が貸してやる書物を読み習って、漸く面白さも知り、言葉の訛をも正し、何ほども経たないうちに私に寄越す手続にも誤字が少なくなった。こういうわけであるので、私たち二人の間にはまず師弟の交わりが生まれたのであった。私の思いがけない免官のことを聞いた時に、披女は色を失った。私は彼女がこんどの私の身の上のことに関係しているということは包みかくしたが、彼女は私に向って、母にはこのことを匿しておいて下さいと言った。これは彼女の母親が、私が学費を失ったことを知ったら、私を疎んじるようになるのではないか、そのことを恐れたからである。

 ああ、くわしくここに書き記す必要もないが、私の彼女を愛する心が俄かに強くなって、ついに離れ難い間柄となったのはこうした折であった。わが一身上の大事は前に横たわっており、まことに危急存亡の秋であるのに、このようなことがあったのをあやしみ、また誹る人もあるであろうが、私がエリスを愛する情は初めて会った時、より決して浅くなっていないところへ、いま私の不幸を憐み、また別れを悲しんで伏し沈んだ面に、鬢の毛の解けてかかっている、その美しくいじらしい姿は、私の悲痛感慨の刺激によって平常でなくなっていた脳髄を射て、自分でもよく判らない間に、このようなことになってしまったのであり、いかんともし難いことであったのである。

 公使に約した日も近づき、私の運命は極まった。このままで日本に帰れば、学成らないで、しかも汚名を負った身の浮かぶ瀬のあろう筈はない。そうかと言って、ここに留まるにしても学資を得る手だてはない。

 この時、私を助けてくれたのは一緒にこちらにやって来た同行の一人である相沢謙吉である。彼は今は東京に在って、既に天方伯の秘書官になっていたが、私の免官のことが官報に出ていたのを見て、某新聞社の編集長に説いて、私をその新聞社の通信員として、伯林に留まって政治、学芸のことなどを報道させるようにしてくれたのである。

 新聞社の報酬は言うに足らぬほどの少額ではあるが、住居もやすい所にうつし、午餐に行く食堂もかえたりしたら、ささやかな暮しはたつであろう。あれこれ思案している時、心の誠をあらわして、助けの綱を私に投げかけてくれたのはエリスであった。彼女はどのように母を説き動かしたのであろうか。私は彼女ら親子の家に寄寓することになり、エリスと私はいつとはなしに、あるかなきかの収入を合せて、憂きがなかにも楽しい月日を送るようになった。

 朝のコーヒーが終ると、彼女はおさらいに行き、おさらいのない日は家に留まっていた。私はキョオニヒ術の間口がせまく、奥行きだけたいへん長い休息所に出掛けて行き、あらゆる新聞を読み、鉛筆をとり出して、あれこれと材料を集めた。このきり開いた引窓から光の入ってくる部屋で、定職のない若者、さして多くもない金を人に貸して自分は遊び暮している老人、取引者の仕事のすきをぬすんで休みに来る商人、こうした人たちと肱を並べ、ひんやりした石のテーブルの上で、せわしげに筆を走らせ、給仕女が持ってくるいっぱいのコーヒーのさめるのも構わず、あいた新聞をはさんだ細長い板が、幾種となく掛け連ねてある向うの壁に、幾度となく往来する日本人を、知らぬ人は何と見ていたであろうか。また、こうして一時間近く経つと、おさらいに行った日にはかえり路に立ち寄って、私と一緒に店を出て行くたいへん軽い、掌上の舞をもなすことができそうな少女を、怪しみ見送る人もあったことであろう。

 わが学問は荒んだ。屋根裏の一つの燈火がかすかに燃えて、エリスが劇場から帰って椅子に寄って縫物などする傍の机で、私は新聞の原稿を書いた。以前の法令条目の結集を紙上に掻き寄せたのとは異って、今は活発な政界の運動、文学美術にかかわる新現象の批評など、あれこれ結びあわせて、力の及ぶ限り、青年ドイツ派の作家ビヨルネより寧ろハイネを学んで想を練り、いろいろの文章を綴ったが、その中でも、引続いてウイルヘルム一世とフレデリック三世との崩御があって、新帝の即位、ビスマルク侯の進退如何などの事については、ことさらに詳細な報告をしたものである。従ってこの頃からは思っていたより忙しくなって、多くもない蔵書をひもどいて、曾ての学問の中に入ってゆくことも乾しく、大学の籍はまだけずられてはいないが、月謝を収めるのがたいへんで、ただ一つにした講義にさえ出席して聴講することは稀であった。

 わが学問は荒んだ。しかし私は別に一種の見識を持つようになった。それはどういうものかと言うに、凡そ民間学の流布した点では、欧州諸国の間で独逸に及ぶところはないだろう。幾百種の新聞雑誌に散見する議論には頗る高尚なるものが多いが、私は通信員となった日から、曾て大学に繁く通った当時養うことができた眼識によって、読んではまた読み、写してはまた写してゆくに従って、今まで一筋の道だけを走っていた知識は、自然に綜括的になって、同郷の留学生などの大方が夢にも知らぬ境地に到達することができた。彼等の仲間には独逸新聞の社説さえよくは読めないのが居るのに。

 ■

 明治二十一年の冬はやってきた。中心街の人道であれば沙をまいたり、すきを振って雪をかいたりしてあるが、クロステル街のあたりはでこぼこの烈しい所は見えるが、表面は一面に凍って、朝戸を開けると、飢えこごえた雀が落ちて死んでいるのも哀れである。部屋を温め、竈に火を焚きつけても、壁の石をもとおし、衣類の綿にも穴をあける北ヨーロッパの寒さは、なかなかどうして堪え難いものである。エリスは二三日前の夜、舞台で卒倒したということで、人に扶けられて帰って来たが、それより気分悪いということで休み、もの食べる度に吐くのを、悪阻というものであろうと、初めて気付いたのは母親であった。ああ、それでなくてさえ覚束ないわが身の行末であるのに、もし悪阻が本当ならどうしたらいいであろうか。

 今朝は日曜なので家に居るけれど、心は楽しくない。エリスは床に臥すほどではないが、小さい鉄炉の傍に椅子を寄せて、言葉すくなである。この時戸口に人の声がして、程なく台所に居たエリスの母は、郵便の手紙を持って来て私に手漬した。見ると見覚えのある相沢の筆蹟であるが、郵便切手はプロシアのもので、消印は伯林になっている。ふしぎに思って開いて読むと、急のことで預め報すことはできなかったが、昨夜ここに到着された天方大臣に附き添って、私もやって来た。伯爵が君に会いたいと言っておられるので、すぐ来て貰いたい。君が名誉を恢復するのもこの時であるべきである。気持だけが急がれて、用事だけを言い遣るとしてある。読みおわつて茫然としている面もちを見て、エリスは言った。「故郷からの手紙ですか。よもや悪い手紙では」、彼女は例の新聞社の報酬に関する書状と思ったのであろう。「いいや、心配しなくていい。あなたも名を知っている相沢が、大臣と一緒にここに来て、私を呼んでいるのである。急ぐと言っているから、今からでも」

 可愛いひとり子を出し遣る母親も、このようには心を使わないだろう。大臣に面会もするであろうと思えばこそであろう。エリスは病気を押して起きて、上襦袢も極めて白いのを選び、丁寧にしまってあったフロックコートという二列ボタンの服を出して私に着せ、襟飾りさえ私のために自分の手で結んだ。「これで見苦しいとは誰も言うことはできない。わたしの鏡に向って見てごらんなさい。なぜそんなに浮かない顔をお見せになっているの、わたしも一緒に連れて行って戴きたいのに」。少し様子を変えて、「いいえ、このように服をお変えになったところを見ると、わたしの豊太郎の君とは見えない」。また少し考えて「たとえ富貴の身におなりになる日はあっても、わたしをお見棄てにならぬように。わたしの病が母の言うような妊娠ではないにしても」「なに、富貴」、私は微笑して「政治社会などに出ようという望みを絶ってから大分経っているのに。大臣は見たくもない。ただ年久しく別れている友に逢いに行くのである」。エリスの母が呼んだ一等辻馬車は輪の下できしる雪道を走って、窓の下まで来た。私は手袋をはめ、少し汚れている外套を背に負って、手は通さず、帽子を手にし、エリスに接吻して階下に降りた。彼女は凍った窓をあけ、乱れた髪を北風に吹かせて私が乗った車を見送った。

 私が車をおりたのは「カイゼルホオフ」の入口である。受付で秘書官相沢の室の番号を訊いて、久しく踏んでいない大理石の階段を登り、中央の柱に「ブリユッシュ」をかぶせたソファを据えつけ、正面には鏡を立ててある次の間に入った。外套はここで脱ぎ、廊下をつたわって部屋の前まで行ったが、私は少しためらいしりごみした。同じように大学に在った日に、私の品行の方正であるのを激賞した相沢が、今日はいかなる顔で出迎えるであろう。室に入って対かい合ってみれば、体こそもとにくらべれば肥えて逞しくなってはいるが、依然変らぬ快活な気象、わがしくじりをさまで意に介していなかったと見える。一別以来の気持を述べる暇もなく、案内されて大臣に謁し、委托されたのは独逸語で記してある文書が急に必要なので翻訳せよとのことであった。私が文書を受けとって大臣の室を出た時、相沢はあとから釆て、私と午餐を共にしようと言った。

 食卓に於ては彼が多く訊いて、私が多く答えた。彼の人生行路は横ね平坦であったが、世にいれられないで不遇なのは、私の身の上の方であったからである。

 私が胸を開いて物語った不幸なこれまでの過去を聞いて、彼は度々驚いたが、なかなか私を責めようとはせず、却って他の凡庸な諸先輩を罵った。しかし話がおわった時、彼は気色を正して諌めるには、この一段のことはもともと生れながらの弱い心から出たことなので、今になっては何と言っても遅い。とは言え、学識があり、才能あるものが、いつまでも一少女の情にかかずらって、目的のない生活をなすべきであろうか。今は天方伯もただ独逸語を利用しようという心だけである。自分もまた伯が当時の免官の理由を知っているので、強いてその先入観を動かそうとはしない。伯が心中で非をかばう者かなんぞのように思われては、友にも利なく、自分も拐であるからである。人を推薦するのはまずその能力を示すのが一番いい。これを示して伯の信用を得ることである。また彼の少女との関係は、たとえ彼女に真心があっても、たとえ交りは深くなっていても、相手の人物、才能を知っての上の恋ではない。留学生の慣習によって生れた一種の惰性的交りである。意を決して、交りを断て。

 これがその言葉のあらましであった。

 大洋で舵を失った船人が遥かな山を望むような、この話は、相沢が私に示した前途の方針である。しかし、この山はなお厚い霧の間にあって、いつ往きつこうとも、いや果して往きつき得るであろうかとも、私の心に満足を与えるかどうかもはっきりしていない。貧しい中でも楽しいのは今の生活、棄て難いのはエリスの愛、私の弱い心では思い定めよう方法もなかったが、しばらく友の言葉に従って、この情縁を断とうと約したのであった。私は守る所を失うまいと思って、自分に敵するものには抵抗するが、友に対しては否と言って立ちむかえないのが常である。

 別れて外に出ると、風が面を撲って来た。二重の玻璃窓をきつく鎖して、大きい陶炉に火を焚いていたホテルの食堂を出たのであるから、薄い外套をとおる午後四時の寒さは殊さらに堪え乾く、膚が粟立つと共に、私は心の中に一程の寒さを感じた。

 翻訳は一夜でやりおえた。「カイゼルホオフ」に通うことはこれから漸く繁くなって行ったが、それに従って、初めは伯の言葉も用事だけであったが、しまいには近頃日本であったことなどを挙げて私の意見を訊き、折にふれては旅行中に人々の失敗のあったことなどを口に出して、お笑いになることもあった。

 ■

 一カ月ほど過ぎて、ある日、伯は突然私にむかって、「余は明日の朝、魯西亜に向って出発する。随行としてついて来ないか」と問われた。私は数日間、あの公務に忙しい相沢と会っていなかったので、この伯の問いは突然だっただけに私を驚かせた。「どうして御命令に従わないことがありましょう」。私は私の恥を書き記そう。この答はいち早く決断して言ったのではない。私は自分が信じて頼む心を生じた人に、突然ものを問われた時は、咄嗟の問に、その答の範囲をよくも計算しないで、すぐ承諾してしまうことがある。そして承諾してしまった上で、それのなし難いことに気付いても、強いて承諾した時の思慮の足りなかったことを掩い隠し、我慢してこれを実行すること屡々である。

 この日は翻訳の代に、旅費さえ添えて貰ったのを持ち帰って、翻訳の代の方はエリスに預けた。これで魯西亜から帰ってくるまでの費用は支えることができるであろう。彼女は医者にみて貰ったら普通の体ではないという。貧血の性であったので、幾月か心付かないでいたのであろう。座頭からは休むことが余りに長いので籍をのぞいたと言って寄越したという。まだひと月ばかりなのに、このように厳しいのは何か別の理由があるからであろう.私の旅立ちのことにはひどく心を悩ますようにも見えない。偽りない私の心を厚く信じているからである。

 鉄道ではそう遠くもない旅なので、用意といったものもない。身に合せて借りた黒い礼服、新たに買い求めたゴタで出版された魯西亜宮廷の貴族名簿、二三種類の辞書などを小さい鞄に入れただけである。さすがに心細いことだけが多いこの頃であるから、私が出て行ったあとに残るのももの憂いことであろうし、また停車場で涙などこぼされたりしたら気がかりでもあろうと思って、翌朝早くエリスを母につけて知人の許に出してやった。私は旅装を整えて、戸を鎖し、鍵を入口に住む靴屋の主人に預けて、家を出た。

 魯国行については、何事を記すべきであろうか。わが通訳なる任務はたちまちにして私を拉し去って、青雲の上におとしてしまった。私が大臣の一行に随って、首都ペエテルブルクに居た問に私を取り巻いていたものは、巴里第一級の香りを氷雪の中に移したとしか思えない王城の飾り、さながら黄鑞の燭を幾つともなくともしたようなたくさんの勲章、たくさんの「エポレット」(肩章)が映射する光、彫刻、彫金の技術の粋をつくしている「カミン」(壁暖炉)の火に寒さを忘れて使う宮女の扇の閃きなど。こうしている間仏蘭西語を最も円滑に使う者は私であるので、客と主人の間に立って事を取り仕切るのも、その多くは私であった。

 こうしている間も、私はエリスを忘れなかった。いや、彼女は毎日手紙を寄越したので忘れることはできなかったのである。私が出立した日には、いつになく独りで燈火に向っているのも心憂いので、知人の許で夜になるまで話していて、疲れるのを待って家にかえり、すぐ寝てしまった.次の朝、眼を覚ました時は、依然として独りあとに残っていることは夢ではないかと思った。起き出した時の心細さ、このような思いは、生活に苦しんで、その日の食がなかった時にも味あわなかったものである。これが彼女の第一の手続のあらましである。

 また暫く経ってからの手続は、たいへん思い迫って書いたもののようであった。手紙を”否〃という言葉で書き出している。いいえ、あなたを思う心の深き底を、私は今こそ知った。あなたが故里に頼みになる親族がないとおっしやる場合は、この地によい世渡りの手段があれば、この地にお留まりにならぬことはないでしょう。また私の愛情でも繋ぎ留めないではおきません。それも満足しないで東へお帰りになるというなら、親と一緒に行くのは簡単ですが、一行三人というこれほど多い旅費をどこから得ましょうか。いかなる仕事をしてもこの地に留まって、あなたが世にお出になる日を待とうといつも思っていましたが、暫らくの旅と言って御出立になってからこの二十日あまり、お別れしている淋しい思いは日に日につのってゆくばかりです。袂を分つのはただ一瞬の苦しさだと思ったのは間違いでありました。わたしの体の普通でないのは漸くはっきりして参りました。そういうこともあるのですから、たとえいかなることがあっても、私をゆめお棄てになるようなことがないように。母とは烈しく争いました。しかし、わたしの身が過ぎてきた昔とは違って、母は母なり決心したのを見て心は折れました。わたしが東へ行くようになったら、ステッチンあたりの農家に遠い禄者があるので、母はそこに身を寄せようと言うのです。お手紙にあったように、大臣の君に重く用いられるようにおなりになったら、わたしの旅費は何とかなるのでしょう。今はひたすらあなたが伯林にお帰りになる日を待つだけです。

 ああ、私はこの手続を見て初めて自分の現在の立場をはっきりと見ることができた。恥かしいのはわが純き心である。私はわが身一つの進退についても、またわが身に関係のない他人のことについても、決断できると自ら心に誇っていたが、この決断は順境にある時だけのことさ、逆境の時には通用しない。自分と人との関係を照そうとする時は、頼みにしていた胸中の鏡は曇ってしまう。

 大臣は既に私を厚く過してくれている。しかしわが近眼はただ自分が尽した職分のことだけを見ていたのである。私はこれに未来の望みを託すというようなことには、神もご存じの通りいささかも想い到らなかった。しかし今このことに気付いて、わが心はなお冷然としていたであろうか。以前友が勤めてくれた時は、大臣の信用は屋上の鳥のように手の届かないところにあったが、今はややこれを得たかのように思われる。そういう状態のところに、相沢がこの頃の言葉の端に、本国に帰ったあとも共にこのようにしていたら云々と言ったのは、大臣がこのように仰せになったのを、友ではあるが、公事なので明らかには私に告げなかったのではないか。今にして思えば、私が軽率にも彼に向ってエリスとの関係を絶とうと言ったのを、彼はすぐ大臣に告げたのではないか。

 ああ、独逸に来た初めに、自ら自分の本領を悟ったと思って、再び器域的人物にはなるまいと誓ったが、これは足をしばって放たれた鳥が暫らく羽を動かして自由を得たと誇ったと同じようなことではないか。足の糸は解くわけにはゆかない。さきにこれを繰ったのは、わが某省の長官であったが、今はこの糸、ああ哀れなことよ、天方伯の手中にある。私が大臣の一行と倶に伯林に帰つたのは、折も折、まさに新年の朝であった。停車場をあとにして、わが家をさして車を走らせた。この伯林では今も除夜には眠らず、元旦に眠る慣わしなので、家という家はどこも静まり返っている。寒さはきぴしく、路上の雪は稜角のある氷片となって、晴れた陽光に照らされて、きらきらと輝いている。車はクロステル街に曲って、家の入口にとまった。この時窓を開く音がしたが、車からは見えない。馬ていに鞄を持たせて階段を登ろうとした時、階段を駐けおりてくるエリスとぶつかった。彼女が一声叫んでわが頸を抱くのを見て馬ていは呆れた面もちで、何か髭のうちで言ったが聞えなかった。「よく帰つていらっしやった。お帰りにならなかったら、わたしの命は絶えたのでしょうに」

 私の心はこの時までも決まっていず、故郷を憶う気持と栄達を求める心とは、時には愛情をおしつぷそうとしていたが、ただこの一刹郡、しりごみためらっていた思いは去って、私は彼女を抱き、彼女の頭はわが肩に寄って、彼女の喜びの涙ははらはらと肩の上に落ちた。「何階に持ってゆくのか」と、銅鑼の音のような大声で叫んだ馬ていは、いち早く登って階段の上に立った。

 戸の外まで出迎えたエリスの母に、馬ていをねぎらってやって下さいと銀貨を渡して、私は手をとって引くエリスに伴われて、急いで部屋に入った。あたりにちらっと眼を向けて、私は驚いた。机の上には白い木綿、白いレエスなどが、うずたかく積み上げられてあったから。エリスは笑いながらこれを指して、「どうごらんになります? この心がまえを」と言いながら一つの木綿ぎれを取り上げるのを見ればお襁褓である。「私の心の楽しさを想像して下さい。産れる子はあなたに似て黒い瞳を持っているでしょう。この瞳、ああ、夢でいつも見たのはあなたの黒い瞳です。その黒い瞳を持った子が生れたら、あなたは正しい心で、よもや私生児などにして、他の名を名乗らせたりはなさらんでしょう」、彼女は頭を垂れた。「いとけなしとお笑いになるかも知れませんが、洗礼を受けに教会に入る日はどんなに嬉れしいことでありましょう」、見上げた眼には涙があふれていた。

 ■

 二三日の間は旅の疲れもおありかと大臣をも訪ねず、家だけに籠っていたが、ある日の夕方、便があって招かれた。行ってみるとお覚えは殊にめでたく、魯西亜行きの労を慰めて下さった後、自分と共に日本にかえる気持はないか、君の学問について私は測り知ることはできないが、語学だけで世の用には足りるだろう。この地に留まることが余りにも長いので、さまぎまなひっかかりもあろうと、相沢に訊ねたところ、そのようなことはないと聞いて安心したとおっしやる。その様子は辞退などできるようなものではない。それでもすんでのところで本当のことを言おうと思ったが、さすがに相沢の言葉をうそだとも言いにくく、そういうところに、もしこの救いの手にすがらない場合は、本国をも失い、名誉を挽回する道をも絶ち、身は広漠たる欧州大都の人の海の中に葬られてしまうであろうと思う念が心頭を衝いて起った。ああ、何といういささかの操もない心であることか、「承知いたしました」と答えたのは。

 黒がねのようなあつかましい穎はしているが、帰ってエリスに何と言おうか、ホテルを出た時の私の心の錯乱は、たとえようにも、たとえるもののない状態であった。私は道の東西をも判別できないで思い沈んで歩いてゆくうちに、行きあう馬車の馬ていに幾度かどなられ、驚いて飛びのいた。暫くして、ふと辺りを見ると、ティヤーガルテンの傍に出ていた。倒れるように路傍の腰掛に身を寄せて、灼くように熱し、槌にでも打たれるように響いている頭を腰掛の背にもたせ、死んだような有様でどれだけの時間を過したのであろう。烈しい寒さが骨にしみ込んでいるのを感じて正気になった時は、夜になっていて、雪は烈しく降り、帽子の庇、外套の肩には雪が一寸ばかりも積もっていた。

 もはや十一時をも過ぎたであろう。モハビット、カルル街通いの鉄道馬車の軌道も雪に埋もれ、ブランデンブルゲル門の畔の瓦斯燈は寂しい光を放っていた。立ち上がろうとしたが、足が凍えているので両手で擦って、漸く歩けるほどになった。

 足の運びが捗らないので、クロステル街まで来た時は夜半を過ぎていたであろう。ここまでの道を、どのようにして歩いて来たか知らない。一月上旬の夜なので、ウンテル・デン・リンデンの酒家、茶店はなお人の出入りが盛んで賑わしくあったのであろうが、いささかも覚えていない。私の頭の中には、ただただ自分はゆるすべからざる罪人であると思う心だけが、満ち満ちていたのであった。

 四階の屋根裏には、エリスはまだ寝ないでいるらしく、光りかがやいている一つの燈火、暗い空にすかせばはっきりと見えるが、降りしきる鷺の羽のような雪片に、たちまち掩われ、またたちまちあらわれたりして、風にもてあそばされているようなものである。戸口に入ってから疲れを覚え、体の節の痛みに我慢できなくなって、這うようにして階投を登った。調理場を通り、部屋の戸を開けて入ったが、机に簡って襁褓を縫っていたエリスは振り返って、「あ!」と叫んだ。「どうなさったんですか、あなたの姿は」。

 驚いたのも尤もなことである。死人と同じ蒼然としたわが顔色、帽子はいつか失い、髪はぽうぽうと乱れ、何度も道でつまずき倒れているので、衣服は泥まじりの雪で汚れ、ところどころ裂けていたのだから。

 私は答えようとしたが声は出ず、膝がしきりと震えて立っていることができ在いので、椅子につかまろうとしたまでは覚えているが、そのままそこに倒れてしまった。

 人心地がついたのは数週間あとであった。熱が劇しくうわごとばかり言っていたのを、エリスはねんごろに看病してくれていたが、ある日相沢が訪ねて来た。相沢は私が彼にかくしておいた一部始終を詳しく知ったが、大臣には病気のことだけを告げ、あとはいいようにとり繕っておいてくれたのであった。私は初めて病床につき添ってくれているエリスを見て、その変った姿に驚いた。被女はこの数週の問にひどく痩せて、血走った眼はくぼみ、灰色の頬の肉は落ちていた。相沢の援助で毎日の生計にはこまらなかったが、この恩人は彼女を精神的に殺してしまったのであった。

 あとで聞けば彼女は相沢に逢った時、彼から私が相沢に与えた約束を聞き、またあのタベに私が大臣に承諾の返事を言上したことを知ると、急に座より躍り上がり、顔の色はさながら土のようになって「私の豊太郎の君は、このようにまで私を欺いておられたのか」と叫び、その場に倒れてしまったということであった。相沢は母を呼んで、一緒に彼女をたすけて寝台の上に寝かせたが、暫くして醒めた時は眼はまっすぐを見たままで、傍の人を見分けることはできず、私の名を呼んではひどく罵り、髪をむしり、蒲団を噛んだりしていたが、また急に正気になった様子で、何か物を拝し求めた。母親が取って与えるものはことごとく投げ打ったが、机の上にあった襁褓を与えた時は、手でさぐってみて、顔に押しあて、涙を流して泣いた。

 これ以後騒ぐことはなくなったが、精神の働きは殆ど全くなくなってしまって、その愚かなことは赤子のようであった。医者に見せたが、過剰な心労によって急に起った「パラノイア」という病気であるから、癒る見込みはないという。ダルドルフの癒狂院に入れようとしたが、泣き叫んできかず、そのあとはあの襁褓一つを身に抱いて、幾度か出しては見、見てはすすり泣く。私の病床からは離れないが、これとて心があってやっているとは見えない。ただ時折、思い出したように「薬を、薬を」と言うだけである。

 私の病気は完全に癒った。エリスの生ける屍を抱いて、移しい涙を流したのは幾度であろうか。大臣に随って帰国の途にのぽる時は、相沢と相談してエリスの母にわずかな生計を営むに足るだけの金を与え、哀れな狂女の胎内に遺した子の生れる折のことも頼んでおいたのであった。

 ああ、相沢謙吉のような良友は、世に再び得難いことであろう。しかし、そうは言うものの、私の脳裡に一点の彼を憎む気持は今日まで残っているのである。


百人一首原文データ

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1 秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ    

2 春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山      

3 あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜を一人かも寝む    

4 田子の浦にうち出てみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ    

5 奥山にもみぢふみわけなく鹿の声聞く時ぞ秋はかなしき     

6 かささぎのわたせる橋におく霜の白きを見れば夜ぞふけにける    

7 天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも    

8 わが庵は都のたつみしかぞすむ世をうぢ山と人は言ふなり

9 花の色はうつりにけりないたづらにわが身よにふるながめせしまに

10 これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関

11 わたのはら八十島かけてこぎ出でぬと人には告げよあまのつり船

12 天つ風雲のかよひ路吹きとぢよをとめの姿しばしとどめん

13 つくばねの峰より落つるみなの川恋ぞつもりて淵となりぬる

14 みちのくのしのぶもぢずり誰ゆゑにみだれそめにし我ならなくに

15 君がため春の野に出でて若菜つむわが衣手に雪はふりつつ

16 立ち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かば今帰り来む

17 ちはやぶる神代もきかず竜田川からくれなゐに水くくるとは

18 住江の岸に寄る波よるさへや夢の通ひ路人めよくらむ

19 難波潟みじかき葦の節の間もあはでこの世を過ぐしてよとや

20 わびぬればいまはた同じ難波なるみをつくしてもあはむとぞ思ふ

21 いまこむと言ひしばかりに長月の有明の月を待ちいでつるかな

22 吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風をあらしといふらむ

23 月見ればちぢにものこそ悲しけれわが身一つの秋にはあらねど

24 このたびは幣もとりあへず手向山もみぢのにしき神のまにまに

25 名にしおはば逢坂山のさねかづら人に知られでくるよしもがな

26 小倉山峰のもみぢ葉心あらばいまひとたびのみゆき待たなん

27 みかの原わきて流るるいづみ川いつ見きとてか恋しかるらむ

28 山里は冬ぞさびしさまさりける人めも草もかれぬと思へば

29 心あてに折らばや折らむ初霜のおきまどはせる白菊の花

30 有明のつれなく見えし別れよりあかつきばかりうきものはなし

31 朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里に降れる白雪

32 山川に風のかけたるしがらみは流れもあへぬ紅葉なりけり

33 ひさかたのひかりのどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ

34 誰をかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに

35 人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける

36 夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを雲のいづこに月やどるらむ

37 白露に風の吹きしく秋の野はつらぬきとめぬ玉ぞ散りける

38 忘らるる身をば思はず誓ひてし人の命の惜しくもあるかな

39 浅茅生の小野の篠原しのぶれどあまりてなどか人の恋しき

40 しのぶれど色に出にけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで

41 恋すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか

42 契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波越さじとは

43 あひ見てののちの心にくらぶれば昔はものを思はざりけり

44 あふことの絶えてしなくはなかなかに人をも身をも恨みざらまし

45 あはれともいふべき人は思ほえで身のいたづらになりぬべきかな

46 由良のとを渡る舟人かぢを絶えゆくへも知らぬ恋の道かな

47 八重むぐらしげれる宿のさびしきに人こそ見えね秋は来にけり

48 風をいたみ岩うつ波のおのれのみくだけてものを思ふころかな

49 御垣守衛士のたく火の夜は燃え昼は消えつつものをこそ思へ

50 君がため惜しからざりし命さへ長くもがなとおもひけるかな

51 かくとだにえやはいぶきのさしも草さしも知らじなもゆる思ひを

52 明けぬれば暮るるものとは知りながらなほうらめしき朝ぼらけかな

53 嘆きつつひとり寝る夜のあくる間はいかに久しきものとかは知る

54 忘れじのゆくすゑまではかたければ今日をかぎりの命ともがな

55 滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ

56 あらざらむこの夜のほかの思ひ出にいまひとたびのあふこともがな

57 めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に雲隠れにし夜半の月かな

58 有馬山猪名の笹原風吹けばいでそよ人を忘れやはする

59 やすらはでねなましものをさよふけてかたぶくまでの月を見しかな

60 大江山いく野の道の遠ければまだふみも見ず天の橋立

61 いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな

62 夜をこめて鳥のそらねははかるともよに逢坂の関はゆるさじ

63 いまはただ思ひ絶えなむとばかりを人づてならで言ふよしもがな

64 朝ぼらけ宇治の川霧たえだえにあらはれわたる瀬々の網代木

65 うらみわびほさぬ袖だにあるものを恋にくちなむ名こそをしけれ

66 もろともにあはれと思へ山桜花よりほかに知る人もなし

67 春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなくたたむ名こそをしけれ

68 心にもあらでうき夜にながらへば恋しかるべき夜半の月かな

69 嵐吹く三室の山のもみぢ葉は竜田の川の錦なりけり

70 さびしさに宿をたち出でてながむればいづこも同じ秋の夕暮れ

71 夕されば門田の稲葉おとづれて葦のまろやに秋風ぞ吹く

72 音にきくたかしの浜のあだ波はかけじや袖のぬれもこそすれ

73 高砂の尾の上の桜咲きにけり外山のかすみたたずもあらなむ

74 憂かりける人を初瀬の山おろしよはげしかれとは祈らぬものを

75 契りおきしさせもが露を命にてあはれことしの秋もいぬめり

76 わたの原こぎ出でてみれば久方の雲ゐにまがふ沖つ白波

77 瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思う

78 淡路島かよふ千鳥の鳴く声に幾夜ねざめぬ須磨の関守

79 秋風にたなびく雲の絶え間よりもれ出づる月のかげのさやけさ

80 長からむ心も知らず黒髪の乱れてけさはものをこそ思へ

81 ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる

82 思ひわびさても命はあるものを憂きにたへぬは涙なりけり

83 世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる

84 ながらへばまたこのごろやしのばれむ憂しと見し世ぞ今は恋しき

85 夜もすがらもの思ふころは明けやらで閨のひまさへつれなかりけり

86 嘆けとて月やはものを思はするかこち顔なるわが涙かな

87 村雨の露もまだひぬまきの葉に霧たちのぼる秋の夕暮れ

88 難波江の 葦のかりねのひとよゆゑみをつくしてや恋ひわたるべき

89 玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする

90 見せばやな雄島のあまの袖だにもぬれにぞぬれし色は変はらず

91 きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかもねむ

92 わが袖は潮干に見えぬ沖の石の人こそ知らね乾く間もなし

93 世の中はつねにもがもな渚こぐあまの小舟の綱手かなしも

94 み吉野の山の秋風さ夜ふけてふるさと寒く衣うつなり

95 おほけなくうき世の民におほふかなわが立つ杣にすみぞめの袖

96 花さそふ嵐の庭の雪ならでふりゆくものはわが身なりけり

97 来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くやもしほの身もこがれつつ

98 風そよぐならの小川の夕暮れはみそぎぞ夏のしるしなりける

99 人もをし人もうらめしあぢきなく世を思ふゆゑにもの思ふ身は

00 ももしきや古き軒ばのしのぶにも なほあまりある昔なりけり


ディベート初級実践例(3年生対象)「国語表現」

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3年生を対象に、ディベートの授業を行った。対象は、市立の単独商業高校であるY商業高等学校、商業経済コース、進学コース、情報処理コース、である。学習意欲はあまり高くなく、いわゆる座学には適応できない生徒が多い。性格的には素朴で素直な生徒が多く、また女性とが三分の二を占めているために国語の授業に対する関心は、他教科と比べると高いほうである。静岡県の高等学校は「輪切り」が進んでおり、入学時の内申点で比較すると本校は「富士、富士宮地域」にある9校の公立高校のうち、8番もしくは9番の成績である。率直にいうと、今回のディベートのレベルは初歩の初歩である。しかし、生徒の反応と、教育的効果が思った以上に見られたために、つたないながら実践例を報告する。

授業の進行計画(6時間計画)

1 ディベートについての説明、練習、班分け(1時間)

2 各班ごとに作戦を立て、役割分担を行う。(2時間)

3 対戦、審査(3時間)

 

○練習については、黒板に例を書き(子供は男がよい)(季節は夏がよい)、クラスを教師が任意に二分して、肯定的立場、否定的立場に分けた上で、板書させた。生徒の反応は思ったよりもよい。座学でないことに対する期待感が大きいようである。

○班分けは、生徒にまかせた。4名もしくは5名、男女混合可としたが、結果的には男女別になった。全10班構成。あらかじめクラスの担任に話をしておき、仲間外れになる生徒がいないかどうかをチェックし、根回しを行った。授業なのだ、という意識を前面に出したために、思ったよりもスムースにことは運んだ。

○リーダーは決めずに、役割分担のみ行った。必ず一人一役以上はついている。おとなしい生徒がしゃべることができるかどうかが心配されたが、結果的には杞憂に終わった。あらかじめシートを用意してあるために精神的負担が軽いためであろう。

○対戦であることを強調した。対戦に勝つことが国語の評価に大きく関わると強調することで、盛り上がりを期待した。実際には対戦の勝敗はほとんど評価には関係しない。どのクラスも盛り上がり、欠席の多い、3年生の3学期にも関わらず、この期間中は欠席が激減した。

○タイムキープ、司会進行は教師が行ったが、生徒にやらせる方がよいかと思う。

○雰囲気を作るために、会場は階段式の視聴覚教室で照明、マイク付きで対戦させた。イラストレータでバナーを作成し、水泳用のサークル板(巨大時計)も用意した。

○評価票を観客の生徒に配り、勝敗は皆のジャッジによって左右され、国語の評価に直結する、とした。そのため、観客の態度は真剣であったが、自分たちのグループに票を集めようと根回しした者もいたために、再三にわたって、公正なジャッジを呼びかけた。ただし、この勝敗は国語の評価には直結しない。


ディベート補助資料集

以下の資料は、ディベートを実践するにあたって、生徒に配付した資料である。初心者であるために、あらかじめ対戦シートを用意しておき、また1〜2時間の準備期間をとってから対戦している。対戦シートにとらわれすぎるのでは、と心配したが、思ったよりもユニークな意見を述べる者が多かった。準備期間の班別の活動は基本的には盛んであったが、男子のグループなどは不十分なものが多く、教師の指導を必要とした。


「国語表現」ディベート

◆ ディベートとは、一つの題材に対して、肯定と否定の立場に分かれ、同じ持ち時間で、立論、反論、まとめを行ない、相手と聴衆(審判)を説得する技術を競うものである。

◆ 1チーム4名で構成する。この4名はそれぞれが役割を持つ。

   1 立論   2 第一反論   3 第二反論  4 まとめ

(5名の場合は第三反論を追加する)

★ディベートの進行★

■開会とテーマ宣言 

○肯定側立論(2分)

○否定側立論(2分)

     ◇(作戦タイム 1分)

○肯定側反論1(2分)

○否定側反論1(2分)

○肯定側反論2(2分)

○否定側反論2(2分)

○肯定側まとめ(2分)

○否定側まとめ(2分)

■ジャッジメント

■閉会宣言

◆ 視聴覚教室を使用し、各論者は演台とマイクを使う。その他のメンバーはステージ上で待機する。


ディベートの論題

◆ 練習

1 子供を持つなら男の子がいい   (男がいい / 女がいい)

2 季節は夏が一番いい       (夏がいい / 夏はいや)

◆ 論題

                                

1 制服は必要である      (必要 / 不必要)

2 年賀状は必要である       (必要 / 不必要)

3 早く結婚する方が幸せになれる  (なれる / なれない)

4 夏休みの宿題は必要である    (必要 / 不必要)

5 テレビは必要である       (必要 / 不必要)


ディベートのシミュレーション

・相手意見の予想(                               )

       ↓

・このように切り返す(                             )

                                 

・相手意見の予想(                               )

       ↓

・このように切り返す(                             )

                                 

・相手意見の予想(                               )                                 

       ↓

・このように切り返す(                             )

                                



 ディベート 肯定側立論用シート

 

論題「                              」

◆ これから「                     」という論題について肯定側の立論を行ないます。

◆ わたしたちは肯定する理由として「  」点、あげたいと思います。

 1つめは「                         」、

それは具体的に言うと「                                                        」ということです。

 2つめは「                         」、

それは具体的に言うと「                                                     」ということです。

 3つめは「                         」、

 それは具体的に言うと「                                                  」ということです。

◆ 以上の理由で、わたしたちはこの論題を肯定いたします。 


ディベート 否定側立論用シート

 論題「                              」

◆ これから「                     」という論題について否定側の立論を行ないます。

◆ わたしたちは否定する理由として「  」点、あげたいと思います。

 1つめは「                         」、

それは具体的に言うと「                                                      」ということです。

 2つめは「                         」、

 それは具体的に言うと「                                                    」ということです。

 3つめは「                         」、

 それは具体的に言うと「                                                      」ということです。

◆ 以上の理由で、わたしたちはこの論題を否定いたします。


ディベート 肯定側反論用シート 

◆ 否定側の立論について、反論いたします。

◆ まず、否定側は「

」と述べましたが、これは認めることができません。

 

 それは、1 特殊で一般的ではない

     2 抽象的で具体的ではない

     3 深刻な問題ではない

     4 その短所よりもこのような長所がある

     5 実際的ではない(実現不可能である)

     6 論理的ではなく感情的である(根拠がない)

◆したがって、否定側の主張を認めることはできません。

◆これに対してわたしたちは「

」と主張するのです。

◆以上で肯定側の第一反論を終わります。ありがとうございました。


ディベート否定側反論用シート 

◆ 肯定側の立論について、反論いたします。

◆ まず、肯定側は「

」と述べましたが、これは認めることができません。

 

 それは、1 特殊で一般的ではない

     2 抽象的で具体的ではない

     3 深刻な問題ではない

     4 その短所よりもこのような長所がある

     5 実際的ではない(実現不可能である)

     6 論理的ではなく感情的である(根拠がない)

◆したがって、肯定側の主張を認めることはできません。

◆これに対してわたしたちは「

」と主張するのです。

◆以上で否定側の第一反論を終わります。ありがとうございました。


ディベート 肯定側第二反論用シート 

◆ 否定側の第一反論について、再度反論いたします。

◆ まず、否定側は「

」と述べましたが、これは認めることができません。

 

 それは、1 特殊で一般的ではない

     2 抽象的で具体的ではない

     3 深刻な問題ではない

     4 その短所よりもこのような長所がある

     5 実際的ではない(実現不可能である)

     6 論理的ではなく感情的である(根拠がない)

◆したがって、否定側の主張を認めることはできません。

◆これに対してわたしたちは「

」と主張するのです。

◆以上で肯定側の第二反論を終わります。ありがとうございました。


ディベート否定側第二反論用シート 

◆ 肯定側の第一反論について、再度反論いたします。

◆ まず、肯定側は「

」と述べましたが、これは認めることができません。

 

 それは、1 特殊で一般的ではない

     2 抽象的で具体的ではない

     3 深刻な問題ではない

     4 その短所よりもこのような長所がある

     5 実際的ではない(実現不可能である)

     6 論理的ではなく感情的である(根拠がない)

◆したがって、肯定側の主張を認めることはできません。

◆これに対してわたしたちは「

」と主張するのです。

◆以上で否定側の第二反論を終わります。ありがとうございました。


ディベート肯定側まとめ用シート 

◆ 今回の議論の中で「  」点の論点がありました。

◆ わたしたちの「                         」について否定側は「                            」

とのべました。それに対しわたしたちは「                                  」と反論いたしました。

◆ したがって審判の皆さん、わたしたちの主張に賛成してください。ありがとうございました。


ディベート否定側まとめ用シート 

◆ 今回の議論の中で「  」点の論点がありました。

◆ わたしたちの「                         」について肯定側は「

                              」とのべました。

それに対しわたしたちは「

」と反論いたしました。

◆ したがって審判の皆さん、わたしたちの主張に賛成してください。ありがとうございました。


ディベートのジャッジについて

 ディベート評価表の詳細にのっとり、評価を行い勝敗を決定する。評価表を見るとわかるだろうが、結局のところ、論題に対して、君たちが肯定的な考えをもっているが、否定的な考えを持っているかという点は全く関係なく採点していただきたい。

 思い出してもらいたいのは、この論題と、論題に対する肯定否定は、まったく自分たちの意志とは無関係に決められたということである。このディベートの趣旨は、言葉を使って主張し、反論し、説得することにある。したがって、ジャッジのポイントとしては、内容とは無関係に、「論理性」であるとか、「熱意」であるとか、相手に対する「攻撃」「守備」をしているか、などの点で判断していただきたい。

 ディベートというのは必ず相手がいるものである。相手が何か主張したら、それに対しては反論するのが義務である。このことを「攻撃義務」という。相手の主張を黙ってきいているだけではいけないということだ。

 また、相手に攻撃されたならば、必ず反論せねばならない。このことは「守備義務」という。その場で相手の主張に対する反論や、守備を考える時間はない。あらかじめ、相手の主張を想像し、このように攻撃されたら、このように守るのだ、ということを、反論担当者は考えておく必要がある。


ディベート評価表

ディベート評価表(ジャッジペーパー)に関してはエクセルで表を作成したために、うまく掲載できなかった。だいたい以下のように、発表者一人ずつ、以下のような観点で点数化して、各チームの合計点を出し、勝敗を決した。勝敗についてはその場ですぐに発表した。ただし、この評価は、実際の国語の評価とは直結せず、教師の評価をもとに評価は行っている。

  肯定側第一反論

論理性54321非論理的

話し方54321話べた

真剣 54321やる気なし

攻撃 54321攻撃なし

守備 54321守備なし


国語科 オンライン句会学習指導案 

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                               Y商業高校

授業担当者  SH

◆一 実施日時  平成九年六月十日(火) 第三時限

◆二 授業学級  三年一組 在籍三十八名(男子十三名 女子二十五名)

◆三 使用教室  本校一階 ワープロ教室

◆四 教材・単元 『国語二』国語表現 (教科書は使用しない)

◆五 題材目標  

 ア 「連歌」の実践によって、文芸的な興味関心を涵養する。

 イ 伝統的文芸に対する心理的な「壁」を解消させ、親しみを持たせる。

 ウ 匿名性のあるデジタルな表現手段によって、解放された自己表現手段を体験する。

 エ ワープロ(コンピュータ)を清書用具以外の手段としてとらえ、表現手段の一つとしての可能性を実践する。

◆六 題材観   

 教育現場におけるコンピュータの活用状況は、活発な側面と非活発な側面をあわせ持つ。一方では専門高校においての実学学習としてのコンピュータ(ワープロ)の活用は非常に活発であり、一方では一般教科におけるコンピュータ活用という点においては、活発とは言えない状況を見ることができる。専門高校においては、「実学」を重んずる傾向が強く、「学術性」や「芸術性」は残念ながら二の次とされがちなのだが、国語科という一般教科におけるコンピュータの使用によって、「実学」「学術」「芸術」という三位一体となった教育活動の、一つの可能性を確かめてみたい。

 また、国語の授業に限らず、「無語(公の場においての発言をあきらめている)」の生徒が増加し、「教師による指名と生徒の解答」による授業進行が難しくなりつつある。この点に関しては、さまざまな実験的な打開策が提案され、試行錯誤が続けられているが、この一つの方法として、コンピュータなどの情報機器を使用する方向を考えてみたい。日本人は公の場においてはいたって無口である。しかしパソコン通信やインターネットのような匿名性の高いデジタル情報手段を一度のぞいてみれば、あきれるくらいに饒舌な人々の姿を見かけることができる。この状況を踏まえ、デジタルな情報手段を、自己表現の一手段として評価し、授業という公の場において導入した場合にどのように機能するのだろうか、という一つの実験を行ってみたい。

 本授業においては、ウィンドウズ3.1環境上においてワープロソフト「DPワード」を使用し、ネットワークソフト「PCSEMI」によって、授業進行を管理する。連歌という「芸術的」題材を、コンピュータという「実学的」手段によって実践することの効果が本授業の趣旨である。

 当該クラスにおいては、「枕草子(二月つごもりころに)」を五月に読んでおり、「上の句」と「下の句」のやり取り、という点においては、抵抗なく受け入れられるのではないかと思われる。

 「連歌」と「コンピュータ」は、双方向性(インタラクティブ)という点において共通性がある。ともすれば内的な人間関係と、内的な世界観に閉じこもりがちな生徒たちに、開かれた文芸手段と開かれた情報機器によって新たな世界観を啓蒙することが最終的な目標である。

◆七 学級状況  

 本校には商業経済、進学、情報処理の三コースがあり、本学級は商業経済コースの男女混合学級である。入学時より就職希望者が多く、実学に関する関心が高い。雰囲気は明るく、活動的であるが、集中力が長続きしにくい面もある。授業者の担任学級であり、授業に対する協力度は高い方である。

 また、当該学級では、週に二単位、文書処理の授業としてワープロの授業を行っており、ワープロの基本操作やキーボード操作の基礎は習得している。

◆八 指導計画  

 本校は全員参加による文芸作品コンクールを実施している。短歌に関して、前年度の優秀作の紹介や、作品の善し悪しについての講義を、本授業に向けての導入として前時に行う。

 また、授業終了後、生徒の全作品をコンピュータによって集約し、作品集として配布する予定である。

◆九 指導案

前回

・課題(発句)の提案

・発句に合う第二句を宿題として考える。

0〜5分

・「連歌」の概略を紹介。

・授業担当者による模範例。

5〜15分

・各生徒による発句のタイピング。

・各生徒による第二句(宿題)のタイピング。

15〜30分

・秀作を生徒のディスプレイに転送し紹介

・投票方式で点を付け最優秀作を決定。

30〜45分

・最優秀作を第二句に決定し、第三句以下を作成。授業者はウォッチングとピックアップを続け、時間の許す限り、連歌を続ける


45〜50分

・集団文芸の意義を解説、まとめる。

・ワープロの終了操作(保存操作)。

◆授業を終えて

 商業高校の特性で、授業でワープロを扱っているために(文書処理)キーボード操作はマスターできていることが、この授業の前提である。国語科の授業でワープロ操作までは教えることはできないだろう。ただし、ワープロの授業においては例文を時間を区切って打ち込み練習をするだけであり、この授業に対する生徒の反応は非常によかった。予想通りに、匿名性のある仮想空間において生徒たちは饒舌であった。ハンドルネーム制度は一応は成功したようである。ゆくゆくは連歌ではなく、文章によるやりとりができたらよいかと思う。

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